
その後、中島敦は精力的にペンを執ります。
9月になると、嬉しい知らせが彼のもとに届きました。
それは、「光と風と夢」が芥川賞候補になったという知らせです。
最終選考にかけかれ、共に残った石坂友三の「松風」との一騎打ちとなったのです。
当時の芥川賞選考委員は8名。
すなわち、宇野浩二、川端康成、久米正雄、佐佐木茂索、横光利一、
小島政二郎、瀧井孝作、室井犀星の面々でした。
その数ヶ月後に死を迎える敦にとって、
それは一世一代のチャンスだったと言えます。
書いた小説が好評を博し、単行本を出版した彼にとって順調な滑り出しでした。
もし受賞していたならば、
作家としての地位は不動のものになっていたでしょう。
またその死後、中島敦の名前は現在とは違う形で残っていたかもしれません。
しかし、8名の選考委員が下した結論は「受賞作なし」でした。
敦は最後のチャンスを逃します。
「光と風と夢」に対する選考委員たちのいまひとつで、
唯一好意的だったのは川端康成くらいです。
――よく書けていることは書けている。しかし、いまひとつ何かが足りない。
これが選考委員たちの一致する考えでした。
これは、読んでは一寸面白いと思ったが、反訳か何かに似た達者な粗らい文体が、
創作ではないやうな感じもした。またこの作者の作品で、
文学界二月号に「古譚」といふのがあって、これも読んだが、
これは衒学的なくさ味があってどうも好きになれなかった。
この意味で、この作者も尚工夫すべきではないかと思はれた。
(瀧井孝作の選評より)
(「光と風と夢」は)南洋の風物描写など、文字面だけで、
現実の色彩も光線も我々の五感に迫って来ない。その点、私は退屈した。
(小島政二郎の選評より)
達者な作者であるがかういふ作品には真実といふものの俤を捉へることが甚だ困難であって、読んで面白かったが、それとは別に私のほしいものが見られなかった。
(室井犀星の選評より)
「光と風と夢」は、題材は変ってゐるけれど、明らかに、冗漫であり、散漫であり、
書き方も、安易で、粗雑である。それで、念のために、この小説の作者の別の作品、
「古譚」を読んでみると、「光と風と夢」が仮りに、荒削りの作品とすると、
「古譚」は、反対に、細工があり過ぎる。そうして、これも、題材は変ってゐるけれど、
書き方は、凝ってゐるやうで、下手である。
(宇野浩二の選評より)
「光と風と夢」は、「松風」と対照的な野心作であり、学究的な才気と、
研究者の執拗とをタップリする程備へた作品で、どっちかと云へば、
私などは圧倒され勝ちなものだった。正直なところ、素晴らしく辣腕で、
力作なのは分ったが、いゝのか悪いのか分からない気がした。
(久米正雄の選評より)
中でも瀧井孝作と宇野浩二は否定的です。
これは相性の問題でもあるのかもしれません。
彼らの選評と「受賞作なし」の結果に1番驚いていたのは川端康成でした。
どちらが受賞してもおかしくはなく、
あるいは両者に賞を与えてもいいと思っていたのです。
前にも賞を休んだ例はあるが、今度ほどそれを遺憾に思ったことはないやうである。
右の二篇が芥川賞に価ひしないとは、私には信じられない。
「松風」や「光と風と夢」とが既往の受賞作に劣るとは、到底信じられない。
(川端康成の選評)
(「中島敦と北武蔵(28)」に続く)
9月になると、嬉しい知らせが彼のもとに届きました。
それは、「光と風と夢」が芥川賞候補になったという知らせです。
最終選考にかけかれ、共に残った石坂友三の「松風」との一騎打ちとなったのです。
当時の芥川賞選考委員は8名。
すなわち、宇野浩二、川端康成、久米正雄、佐佐木茂索、横光利一、
小島政二郎、瀧井孝作、室井犀星の面々でした。
その数ヶ月後に死を迎える敦にとって、
それは一世一代のチャンスだったと言えます。
書いた小説が好評を博し、単行本を出版した彼にとって順調な滑り出しでした。
もし受賞していたならば、
作家としての地位は不動のものになっていたでしょう。
またその死後、中島敦の名前は現在とは違う形で残っていたかもしれません。
しかし、8名の選考委員が下した結論は「受賞作なし」でした。
敦は最後のチャンスを逃します。
「光と風と夢」に対する選考委員たちのいまひとつで、
唯一好意的だったのは川端康成くらいです。
――よく書けていることは書けている。しかし、いまひとつ何かが足りない。
これが選考委員たちの一致する考えでした。
これは、読んでは一寸面白いと思ったが、反訳か何かに似た達者な粗らい文体が、
創作ではないやうな感じもした。またこの作者の作品で、
文学界二月号に「古譚」といふのがあって、これも読んだが、
これは衒学的なくさ味があってどうも好きになれなかった。
この意味で、この作者も尚工夫すべきではないかと思はれた。
(瀧井孝作の選評より)
(「光と風と夢」は)南洋の風物描写など、文字面だけで、
現実の色彩も光線も我々の五感に迫って来ない。その点、私は退屈した。
(小島政二郎の選評より)
達者な作者であるがかういふ作品には真実といふものの俤を捉へることが甚だ困難であって、読んで面白かったが、それとは別に私のほしいものが見られなかった。
(室井犀星の選評より)
「光と風と夢」は、題材は変ってゐるけれど、明らかに、冗漫であり、散漫であり、
書き方も、安易で、粗雑である。それで、念のために、この小説の作者の別の作品、
「古譚」を読んでみると、「光と風と夢」が仮りに、荒削りの作品とすると、
「古譚」は、反対に、細工があり過ぎる。そうして、これも、題材は変ってゐるけれど、
書き方は、凝ってゐるやうで、下手である。
(宇野浩二の選評より)
「光と風と夢」は、「松風」と対照的な野心作であり、学究的な才気と、
研究者の執拗とをタップリする程備へた作品で、どっちかと云へば、
私などは圧倒され勝ちなものだった。正直なところ、素晴らしく辣腕で、
力作なのは分ったが、いゝのか悪いのか分からない気がした。
(久米正雄の選評より)
中でも瀧井孝作と宇野浩二は否定的です。
これは相性の問題でもあるのかもしれません。
彼らの選評と「受賞作なし」の結果に1番驚いていたのは川端康成でした。
どちらが受賞してもおかしくはなく、
あるいは両者に賞を与えてもいいと思っていたのです。
前にも賞を休んだ例はあるが、今度ほどそれを遺憾に思ったことはないやうである。
右の二篇が芥川賞に価ひしないとは、私には信じられない。
「松風」や「光と風と夢」とが既往の受賞作に劣るとは、到底信じられない。
(川端康成の選評)
(「中島敦と北武蔵(28)」に続く)









