クニの部屋 −北武蔵の風土記−

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

水の事故が多かった葛西用水路 ―旭橋(羽生市)―

2007年02月01日 | 羽生城跡・城下町巡り
埼玉県羽生市を分断するように流れる葛西用水路。
日本三大農業用水路のひとつであり、
万治3年(1660)関東郡代“伊奈忠克”によって開削されました。

羽生駅の東口からずっと真っ直ぐ東へ向かうと、
やがて葛西用水路に行き当たります。
近くに「サンドラッグ」(元マルエツ)、「羽生商工会館」のある場所です。
ここに架かる橋を「旭橋」と言います。
葛西用水路沿いには桜の木が並び、
春には提灯もぶら下がって華やかになる場所です。
葛西用水路も平成7年の改修工事以来すっかり整備され、
かつて夏の終わりに川の中に入って魚獲りをしましたが、
いまはそんな時代ではありません。
「橋の下は深い」と幼い頃耳にした言葉通り、
旭橋の下も一段と深くなっていたのを覚えています。

さて、この旭橋はかつて「士辺橋」と言われていました。
明治期に編纂された『武蔵国郡村誌』には、

 士辺橋、村道に属し町の南隅仝水(葛西用水路―筆者註)の下流に架す
 長七間巾一丈土造

と記されてます。
この橋がコンクリート製になったのは、昭和34年3月のことでした。
羽生市ではこの年千代田村と合併し、
人口4万4092人、世帯数7892戸の町へと発展しました。
皇太子と正田美智子さんの結婚パレードがあったのも、この昭和34年です。
ちなみにこの頃、旭橋付近では数軒の家しかなかったそうです。
『羽生旭町誌』には当時の風景を次のように綴っています。

 見渡す限りの田園風景、水路には透き通った水が流れ、春にはれんげ草や、
 菜の花畑でおおわれ六月になると、家族総出の田植え風景が各所で見られました。
 夜には東武伊勢崎線の列車の音とともに、
 車窓の明かりが今とても懐かしく思い出されます。
 又空気も澄んでおり、冬の朝には富士山を仰ぐこともできました。

現在は富士山はおろか、東武伊勢崎線の電車も建物に遮られて見えません。
昭和38年頃から「サンドラッグ」の南側(同市南5丁目)に、
住宅が建ち始めたということです。
(現在放送中のドラマ「華麗なる一族」と時代が重なるでしょうか)
かつて子どもたちの格好の遊び場だった葛西用水路も、
次第にゲームなどに取って代わられたのでしょう。
2006年、羽生市では子どもの水の事故が起き、
川で遊ぶことは危険を見なされています。
聞いた話によると、かつて葛西用水路で命を落とした子どもは多かったそうです。
現在のようにフェンスで区切られておらず、
足を滑らせて川に落ちてしまったり、遊んでいる最中に流されてしまったりと、
毎年必ず何人かの子どもを呑み込んでいました。
葛西用水路の辺りには行ってはいけないと、
幼い頃にそう禁じられた人も多いようです。

平成7年の改修工事以来、旭橋付近の様相も変わりました。
その橋の下がいまどうなっているのかはわかりません。
かつて用水路の中に入ったときに目にした薄暗さと、
一段下がった深みが気味悪くさえ感じられます。

引用文献
埼玉県編『武蔵国郡村誌』
羽生旭町誌編集委員会編『羽生旭町誌』
ジャンル:
埼玉県
キーワード
葛西用水路 武蔵国郡村誌 サンドラッグ 華麗なる一族 正田美智子 コンクリート製 夏の終わり
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