
普段何気なく通っている道の片隅に、
石碑や石造仏が建っているのをしばしば見かけます。
通い慣れた道だけに、それはすでに景色の1部になっているかもしれませんが、
はじめからそこに建っていたわけではありません。
ふと立ち止まって意識すれば、
意味深にわたしたちに語りかけてくるでしょう。
埼玉県加須市馬内の細い道の一角に、
“川圦様”と呼ばれる石祠が建っています。
近くには秋葉団地が建ち、秋葉神社が鎮座していますが、
その川圦様は路傍にポツンとあるので、
つい見過ごしてしまうかもしれません。
しかも標柱が建っているわけではなく、
例え目に留まってもわざわざ立ち止まるほどのインパクトは与えないと思います。
この川圦様には次のような伝説が伝わっています。
まだ“会の川”が利根川の本流だった頃のことです。
まとまった雨が降ると川はすぐに氾濫し、村をしばしば襲っていました。
当時は現在のような高い堤防はありません。
堤防と言えば、川の流れが作った“自然堤防”で、
すぐに水が溢れ出てしまうほど低いものでした。
あまつさえ頑丈ではなく、しばしば切れて水が流れ出ていたのです。
いまは昔、村人たちが力を合わせ、切れた堤防の修復をしていたときのことでした。
水の流れは激しく、工事はなかなかはかどりません。
ちょうどそのとき母と娘の巡礼が通りかかりました。
「これは水神様が怒っているに違いない」
村人たちから話を聞いた母はそう言うと、
川に向かって念仏を唱え始めました。
娘も同様にその隣で一心に念仏を唱えます。
しかし、水の流れは一向に落ち着く気配はありません。
「ならば、私たちが直接怒りをなだめて参りましょう」
そう言うや否や、母は突然川の中に飛び込んでしまいます。
村人が引き留める間もなく、娘もそれに続きます。
親子は濁流に飲み込まれ、再び上がってくることはありませんでした。
すると、親子の祈りが通じたのでしょうか。
激しく流れていた水はみるみる穏やかになり、
工事がたやすいほどになったそうです。
呆然とその場に立ちつくしていた村人たちは手を合わせ、
いつまでも親子に感謝の気持ちを捧げました。
以来、村人たちは親子への感謝と供養を兼ねて石祠を建立。
そしていつの頃からか、それを「川圦様」と呼ぶようになったと伝えられています。
これが馬内に伝わる川圦様のお話ですが、
母と子が人柱になる言い伝えは日本に数多く存在しています。
ゆえに、馬内村で入水した親子が本当にいたかどうかはわかりません。
ただ、すぐそばには利根川が流れ、
たびたび水害に見舞われていたことは間違いないでしょう。
命を落とした人も少なくないはずです。
川圦様はそうした犠牲者となった人を供養するために建立されたのかもしれません。
あるいは、水難から村を守ろうとしたことも考えられます。
現在の古利根川は小さな川となり、
畏怖の念を抱くほどではなくなりました。
しかし、川圦様の鎮座する小高い丘は、
利根川の乱流時代に作られた“河畔砂丘”です。
これは川が運んだ土砂と強い風によって作られました。
現在は団地と民家が立ち並ぶ場所ですが、
川圦様や河畔砂丘が往古の川の激しさをいまに伝えています。
※画像は“川圦様”と呼ばれる石祠です。
石碑や石造仏が建っているのをしばしば見かけます。
通い慣れた道だけに、それはすでに景色の1部になっているかもしれませんが、
はじめからそこに建っていたわけではありません。
ふと立ち止まって意識すれば、
意味深にわたしたちに語りかけてくるでしょう。
埼玉県加須市馬内の細い道の一角に、
“川圦様”と呼ばれる石祠が建っています。
近くには秋葉団地が建ち、秋葉神社が鎮座していますが、
その川圦様は路傍にポツンとあるので、
つい見過ごしてしまうかもしれません。
しかも標柱が建っているわけではなく、
例え目に留まってもわざわざ立ち止まるほどのインパクトは与えないと思います。
この川圦様には次のような伝説が伝わっています。
まだ“会の川”が利根川の本流だった頃のことです。
まとまった雨が降ると川はすぐに氾濫し、村をしばしば襲っていました。
当時は現在のような高い堤防はありません。
堤防と言えば、川の流れが作った“自然堤防”で、
すぐに水が溢れ出てしまうほど低いものでした。
あまつさえ頑丈ではなく、しばしば切れて水が流れ出ていたのです。
いまは昔、村人たちが力を合わせ、切れた堤防の修復をしていたときのことでした。
水の流れは激しく、工事はなかなかはかどりません。
ちょうどそのとき母と娘の巡礼が通りかかりました。
「これは水神様が怒っているに違いない」
村人たちから話を聞いた母はそう言うと、
川に向かって念仏を唱え始めました。
娘も同様にその隣で一心に念仏を唱えます。
しかし、水の流れは一向に落ち着く気配はありません。
「ならば、私たちが直接怒りをなだめて参りましょう」
そう言うや否や、母は突然川の中に飛び込んでしまいます。
村人が引き留める間もなく、娘もそれに続きます。
親子は濁流に飲み込まれ、再び上がってくることはありませんでした。
すると、親子の祈りが通じたのでしょうか。
激しく流れていた水はみるみる穏やかになり、
工事がたやすいほどになったそうです。
呆然とその場に立ちつくしていた村人たちは手を合わせ、
いつまでも親子に感謝の気持ちを捧げました。
以来、村人たちは親子への感謝と供養を兼ねて石祠を建立。
そしていつの頃からか、それを「川圦様」と呼ぶようになったと伝えられています。
これが馬内に伝わる川圦様のお話ですが、
母と子が人柱になる言い伝えは日本に数多く存在しています。
ゆえに、馬内村で入水した親子が本当にいたかどうかはわかりません。
ただ、すぐそばには利根川が流れ、
たびたび水害に見舞われていたことは間違いないでしょう。
命を落とした人も少なくないはずです。
川圦様はそうした犠牲者となった人を供養するために建立されたのかもしれません。
あるいは、水難から村を守ろうとしたことも考えられます。
現在の古利根川は小さな川となり、
畏怖の念を抱くほどではなくなりました。
しかし、川圦様の鎮座する小高い丘は、
利根川の乱流時代に作られた“河畔砂丘”です。
これは川が運んだ土砂と強い風によって作られました。
現在は団地と民家が立ち並ぶ場所ですが、
川圦様や河畔砂丘が往古の川の激しさをいまに伝えています。
※画像は“川圦様”と呼ばれる石祠です。









