クニの部屋 −北武蔵の風土記−

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

「天地人」、“織田信長”と“上杉謙信”の強さの秘訣は?

2009年02月02日 | 戦国時代の部屋
織田信長と上杉謙信、
一体どちらが強いのか?
大河ドラマ「天地人」では、
両者の対決が盛り上がりを見せている。

天正3年(1575)5月21日、
信長と徳川家康連合軍は長篠にて武田勝頼軍を撃破。
この戦いでよく言われるのが、
鉄砲三千挺の三段撃ちである。
これは俗説とされるが、鉄砲が勝因となったことは間違いないだろう。

この信長、天に向かって鉄砲を放ち、
謙信との対決の狼煙として描かれた。
鉄砲という「新」を以て、
「旧」の上杉軍と戦う意志の象徴である。

これに対し、上杉軍の軍備はどうだったのだろう。
実は、鉄砲はほとんど普及していない。
持っていないことはなかったが、
軍備に占める割合は極めて低かった。
しかも、「鉄砲隊」として編成されているわけではなく、
各隊が各々持っているという状態で、
鉄砲に対する認識は甘かったようである。

代わりに、上杉軍が多く有していたのは鑓隊だ。
戦闘が始まったとき、
まず鉄砲と弓で敵を威嚇する。
同時に味方の士気を高め、
次に鑓隊が突撃するという戦法が採られていた。

 槍士槍を錫杖持にして、矢聲を立てて犇と殺到するを上杉家の風とす。
 (布施秀治著『上杉謙信傳』)

鉄砲と槍。
「天下布武」の思想を掲げ、古きものを破壊する信長と、
義の精神で旧秩序の回復を目指す謙信との差異と言えるだろう。

最新の兵器の前で、精神論では勝てない。
ところが、上杉軍は強かった。
嵐のごとく突撃し、諸城を陥落させている。
毘沙門天の化身と恐れられ、
まるで神懸かり的な強さである。

謙信の采配や、上杉軍の兵士が圧倒的に優れていたと言えばそれまでだが、
果たして武力だけで勝ちを収めていたのだろうか?
わたしは上杉謙信に対する精神的な恐れが、
大きく影響した気がしてならない。

義に厚く、私利私欲のために戦わなかったと言われる謙信だが、
一旦怒りに駆られると大火のごとく恐ろしかったという。
“直江兼続”や“太田資正”はそれを「短所」としているし、
天正2年秋の関東出陣では、諸城を悉く放火している。
まさに、怒れる謙信は毘沙門天の化身だったに違いない。

さらには、上杉軍の乱取りの凄まじさである。
侵攻を受けた城や村は、
すさまじい強奪や殺戮が行われていた。
奴隷売買のきらいもあり、謙信もこれを認めている。

敵にまわした謙信は、げに恐ろしい。
籠城した者は早くに降参し、
謙信という嵐をやり過ごすのが得策である。
下手に抵抗すればするほど被害は大きくなる。
だから恐怖に駆られた諸将は、早くに謙信に白旗を上げるのだ。
全ての戦に当てはまるわけではないが、
この辺りに謙信の戦勝率が隠されてはいないだろうか?

魔王の信長と、
毘沙門天の謙信。
両者の対決がいま始まろうとしている。
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