クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

南流する利根川を締め切った堤がある? ―蛇田堤―

2016年10月11日 | 利根川・荒川の部屋
蛇田堤(じゃだつつみ)と呼ばれる土山がある。
現在は小さな公園になっていて、
すぐ近くを県道3号線と中川が通っている。

県道を渡ったところにあるのはパチンコ店。
夜になるとその明かりが蛇田堤をぼんやり照らす。

この蛇田堤は、かつてここで南流していた利根川を締め切ったと堤と伝えられる。
付近は川の合流地点であり、河川交通の要衝地でもあった。
近世以前は、会の川と浅間川、渡良瀬川が合流していた(いずれも利根川水系)。

天正年間に比定される北条氏照の書状によれば、
この辺り(八甫)に上る商船の数は30艘。
経済的に軍事的にも重要視されていたことがうかがえる。

八百八筋と言っても過言ではない利根川。
複雑に入り組んでおり、時代によって流れも変わる。

そんな利根川はかつて八甫(埼玉県久喜市)で2派に分かれていた。
その1派を締め切った堤が“蛇田堤”というわけだ。
かつては堤が連なっていたのだろう。
が、現在はその1部を残すのみとなっている。

ちなみに、南流していた利根川の名残が現存している。
それは、蛇田堤の近くに横たわる“宝泉寺池”だ。
これは大水による決壊でできた池(押堀)だが、
元々は古利根川の流路跡と考えられている。

締め切られた利根川は東に流れ(権現堂川)、やがて庄内川に流下した。
その流域に大きな影響を与えたのは言うまでもない。

現在、県道3号線には多くの車が行き交っている。
蛇田堤に車を止めてわざわざ見に行く人は少ないだろう。
推測の域を出ないものの、
利根川の歴史の一部をいまに伝えている。
現代の行き交う車のごとく、何艘もの船が通り過ぎていたに違いない。
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