
大きな沼や渕、池、井戸、川などにまつわる伝説は多い。
農耕を営む人々にとって、水は欠かせないものである。
また、人間の暮らしにとって、水は命の源だ。
ゆえに“水神”を祀り、祈りを捧げた。
水場を神聖化し、感謝と畏れの感情があっただろう。
館林城には、自然要害として広大な沼が横たわっていた。
いまもその沼は残り、「城沼」と呼ばれている。
沼に棲む龍神が城を守った……と言いたいところだが、
館林城下で膾炙されていたのは稲荷である。
城郭の一部に稲荷社が祀られ、
押し寄せてきた北条氏政や石田三成の軍勢の前に、
稲荷が怪奇を起こしたなどと伝えられている。
では、龍神はいないのかと言えばそうではない。
龍神は館林城下に現れた。
ある日、町の一角にある福寿院の境内で、突然水が吹き出た。
すると中から現れたのは、女官の姿をした龍神。
出現した龍神を前にして、何とも思わない人間はいない。
龍神が現れたこの井戸を尊び、
“青龍の井戸”と呼ばれるようになった。
戦国時代も終わった延宝年間(1673〜1681)のことである。
徳川綱吉の母“桂昌院”も黙ってはいない。
“青龍権現社”を再建し、
10石の朱印地を寄進したという。
現在もこの青龍の井戸は残っている。
駅前通りを城へ向かって左側にある小さな社だ。
さすがに井戸には蓋が閉まっているが、
平成10年の調査では7メートルもの深さがあったという。
落ちたらひとたまりもない。
湧き水、しかも神社やお寺に関係するものは神聖視する傾向がある。
埼玉県旧騎西町の玉敷神社では、
境内の御手洗を沸かして風呂にしたら、
病気が治るご神湯として大ヒット。
無論、商売ではないが、神の水は人を呼ぶ効果もある。
青龍の井戸も、延命長寿の霊験があると信じられていた。
そこで、7月10日の縁日では、
この水を貰いにくる参拝者で賑わっていたという。
いまでは目立たない場所にポツンとあるが、
龍神に畏れと親しみを覚える人は少なくなかっただろう。
蓋の閉められた井戸に、もう龍神はいないのだろうか?
深い井戸の底では、いまでも水が湧いているというが……。
※最初の写真は青龍の井戸(群馬県館林市)
農耕を営む人々にとって、水は欠かせないものである。
また、人間の暮らしにとって、水は命の源だ。
ゆえに“水神”を祀り、祈りを捧げた。
水場を神聖化し、感謝と畏れの感情があっただろう。
館林城には、自然要害として広大な沼が横たわっていた。
いまもその沼は残り、「城沼」と呼ばれている。
沼に棲む龍神が城を守った……と言いたいところだが、
館林城下で膾炙されていたのは稲荷である。
城郭の一部に稲荷社が祀られ、
押し寄せてきた北条氏政や石田三成の軍勢の前に、
稲荷が怪奇を起こしたなどと伝えられている。
では、龍神はいないのかと言えばそうではない。
龍神は館林城下に現れた。
ある日、町の一角にある福寿院の境内で、突然水が吹き出た。
すると中から現れたのは、女官の姿をした龍神。
出現した龍神を前にして、何とも思わない人間はいない。
龍神が現れたこの井戸を尊び、
“青龍の井戸”と呼ばれるようになった。
戦国時代も終わった延宝年間(1673〜1681)のことである。
徳川綱吉の母“桂昌院”も黙ってはいない。
“青龍権現社”を再建し、
10石の朱印地を寄進したという。
現在もこの青龍の井戸は残っている。
駅前通りを城へ向かって左側にある小さな社だ。
さすがに井戸には蓋が閉まっているが、
平成10年の調査では7メートルもの深さがあったという。
落ちたらひとたまりもない。
湧き水、しかも神社やお寺に関係するものは神聖視する傾向がある。
埼玉県旧騎西町の玉敷神社では、
境内の御手洗を沸かして風呂にしたら、
病気が治るご神湯として大ヒット。
無論、商売ではないが、神の水は人を呼ぶ効果もある。
青龍の井戸も、延命長寿の霊験があると信じられていた。
そこで、7月10日の縁日では、
この水を貰いにくる参拝者で賑わっていたという。
いまでは目立たない場所にポツンとあるが、
龍神に畏れと親しみを覚える人は少なくなかっただろう。
蓋の閉められた井戸に、もう龍神はいないのだろうか?
深い井戸の底では、いまでも水が湧いているというが……。
※最初の写真は青龍の井戸(群馬県館林市)










私のブログの方でも紹介させていただきました。
想像力広がる内容がよいですね。
最近、館林のラーメン屋さんによく足を運んでいます。
ついでに図書館とウォーキングもしているので、
館林にカメラを向けることが多くなりました。
と言っても、閉館後なので夜なんですけどね。
紹介していただき、ありがとうございます。
館林は幼い頃からよく足を運んでいた町なので、
とても愛着があることを再確認中です。