クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

幸手に残る“押堀”は? ―高須賀池―

2016年07月22日 | 利根川・荒川の部屋
高須賀池は埼玉県幸手市にある。
天明6年(1786)の利根川堤防の決壊によってできた池で、
いわゆる押堀だ。

とはいえ、いまある形は昭和22年のカスリン台風によってできたもの。
以前は、南北に伸びる形をしており、最大深度は6メートルだったとか。
(現在は水深10メートルを有している)

池の南側は水田が広がっているが、
かつてはその辺りが池に覆われていた。
その用水は明治期の迅速図などで確認できる。

埋め立ての話も持ち上がったこともあったらしい。
が、現在は公園として整備されている。
釣り場としても知られていて、
休日になると釣り人の姿が目立つ。

なお、池の北側は昔懐かしい雰囲気を漂わす土手が連なっている。
権現堂堤の一部だ。
この堤がいつ作られたのかはいくつ説がある。
天正4年(1576)に後北条氏によるものと考えられている。
天正2年に関宿城を掌握した後北条氏が、
その勢力を大きく伸ばした時代背景が関係しているだろう。

土手の畔には、目や歯の病に効く薬師様が祀られている常福寺が有り。
釣りやウォーキングなど、
人々に親しまれる場所となっている。

ちなみに、戦前には池の生き物や地質など、
学者たちから熱い視線を注がれていたという。
昆虫専門の学芸員と高須賀池について話をする機会があったが、
やはり熱い場所らしい。
「虫目」を持つと、きっと豊かな世界が広がっているに違いない。


高須賀池(埼玉県幸手市)


旧堤

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