クニの部屋 −北武蔵の風土記−

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

羽生の桜の下には……(46) ―清水卯三郎の生家跡(おまけ6)―

2008年04月27日 | ふるさと歴史探訪の部屋
小説『田舎教師』ゆかりの羽生に訪れた3人の小説家。
すなわち、川端康成・横光利一、片岡鉄平は昭和13年4月14日に、
埼玉県羽生市に赴きました。
そして、清水卯三郎の生家跡の前に建つ“梅沢旅館”(現「羽生館」)に一泊します。

この梅沢旅館も、ほんの一瞬ではあるものの『田舎教師』に登場する場所です。
二十章に次のように登場します。

 旅人は今夜は羽生の町の梅沢という旅店にとまるという。
 清三は町に入る処で、旅店へ行く路を教えて遣って、田圃の横路を右に別れた。
 見ていると、旅人はさながら疲れた鳥が塒(ねぐら)を求めるように、
 てくてくと歩いて町に入って行った。

3人の小説家は主人公のモデル“小林秀三”が眠る“建福寺”をはじめ、
秀三が勤めた“弥勒高等小学校跡”や、
小説にも登場する利根川に足を運びます。
彼らの目に羽生の光景はどう映ったでしょう。
『田舎教師』愛読者の片岡鉄平は、
小説の描写と重ね合わせていたのかもしれません。

そのときまで『田舎教師』を読んでいなかった川端と横光は、
ゆったり時の流れる田舎町に日常の煩瑣を忘れたのでしょうか。
初めて羽生を訪れた横光利一は、
「東京から一時間足らずで、こんなのんびりした所に来られるとは誰も知るまい」
と、言ったそうです。

この文学紀行を写真に収めるべく、
カメラを手にしていたのは川端康成です。
列車に乗って羽生へ向かう横光と片岡、
梅沢旅館で羽生の人々の訪問を受けるところや、
利根川の土手を歩く風景など、
川端は次々にシャッターを切りました。
ゆえに、川端自身は写真に写っていません。

3人は『田舎教師』に登場する「小川屋」で食事をしたあと、
東京へ戻りました。
横光利一はこの文学散歩を記念して、
羽生に置きみやげを残しています。
それは句。
横光は梅沢旅館の扇に次の句を書き残したのでした。

 山門に木瓜咲きあるる羽生かな

この3人の旅については、
のちに片岡鉄平が「文学的紀行」に詳しく綴っています。
そして羽生では、3人の「田舎教師遺跡巡礼の旅」の記念として、
建福寺の境内に句碑を建てました。
そこには横光利一の詠んだ句が刻されています。
かくして『田舎教師』熱は、羽生でますます上がるのでした。


建福寺境内に建つ句碑


「田舎教師」ふるさと資料展示室(市民プラザ内2階)
ここに『田舎教師』ゆかりのものをはじめ、
3人の文学紀行の様子を写した写真もわずかながら展示されています。


展示室。
かつて、これらの資料は図書館・郷土資料館に展示されていました。
市民プラザのオープンに伴い移ったのですが(平成11年)、
以前の郷土資料館展示室ロビーの常設の方が、
人の目に触れる機会が多かったような……。

※参照URL「市民プラザ」
http://www.city.hanyu.lg.jp/kurashi/shisetsu/plaza.html
ジャンル:
埼玉県
キーワード
清水卯三郎 高等小学校
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