羽生城址碑は神社の境内に建っている。
だから、羽生城へ行くとなると神社に向かうことが多い。
神社の名前は天神社。
古城天満宮とも言う。
『新編武蔵風土記稿』によるとここは天神曲輪の跡という。
そう、本丸ではない。
おそらく城の鬼門を守る場所だったのだろう。
城が落ちるとき天神の森から舟を出し、
城主の奥方と子どもが落ち延びたという伝説もある。
息子を連れて羽生城を訪ねたのは夜だった。
すでに境内は暗闇に包まれている。
景色がよく見えない。
目で見ようとするのではない。
心の目で見る、
とそんなハイレベルなことはできず、
往古に想いを馳せることくらいだ。
息子は神社を参拝。
さして恐がりもせず、
拝殿の前で手を合わせていた。
夜の参拝を気味悪がる人もいるが、神社は聖域。
幽霊が出るとしても場違いな気がする。
出るなら羽生城主に会ってみたい。
あるいは重臣に。
羽生城はいつ、誰が築城したのか謎に包まれている。
戦国時代後期には上杉謙信に属し、
天正2年(1574)に自落。
天正18年(1590)までは忍城主成田氏の支配を受けた。
その後、大久保忠隣が羽生城主となったが、
慶長19年(1614)に忠隣が改易になったことで、
廃城となってしまう。
もし羽生城が山城だったならば、城の遺構は多少残っていただろうか。
しかし、平地に築かれた平城。
時代の流れとともに消滅していったのだろう。
そして、幕末に陣屋が構築されるにあたって、
遺構は全て消滅したと言われる。
羽生城址碑は天神社の境内に建っている。
城址というより、神社参拝として行ってもいいだろう。
だから、羽生城へ行くとなると神社に向かうことが多い。
神社の名前は天神社。
古城天満宮とも言う。
『新編武蔵風土記稿』によるとここは天神曲輪の跡という。
そう、本丸ではない。
おそらく城の鬼門を守る場所だったのだろう。
城が落ちるとき天神の森から舟を出し、
城主の奥方と子どもが落ち延びたという伝説もある。
息子を連れて羽生城を訪ねたのは夜だった。
すでに境内は暗闇に包まれている。
景色がよく見えない。
目で見ようとするのではない。
心の目で見る、
とそんなハイレベルなことはできず、
往古に想いを馳せることくらいだ。
息子は神社を参拝。
さして恐がりもせず、
拝殿の前で手を合わせていた。
夜の参拝を気味悪がる人もいるが、神社は聖域。
幽霊が出るとしても場違いな気がする。
出るなら羽生城主に会ってみたい。
あるいは重臣に。
羽生城はいつ、誰が築城したのか謎に包まれている。
戦国時代後期には上杉謙信に属し、
天正2年(1574)に自落。
天正18年(1590)までは忍城主成田氏の支配を受けた。
その後、大久保忠隣が羽生城主となったが、
慶長19年(1614)に忠隣が改易になったことで、
廃城となってしまう。
もし羽生城が山城だったならば、城の遺構は多少残っていただろうか。
しかし、平地に築かれた平城。
時代の流れとともに消滅していったのだろう。
そして、幕末に陣屋が構築されるにあたって、
遺構は全て消滅したと言われる。
羽生城址碑は天神社の境内に建っている。
城址というより、神社参拝として行ってもいいだろう。