クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

幼な子と行く“羽生城”は?

2017年01月07日 | 城・館の部屋
羽生城址碑は神社の境内に建っている。
だから、羽生城へ行くとなると神社に向かうことが多い。

神社の名前は天神社。
古城天満宮とも言う。
『新編武蔵風土記稿』によるとここは天神曲輪の跡という。

そう、本丸ではない。
おそらく城の鬼門を守る場所だったのだろう。
城が落ちるとき天神の森から舟を出し、
城主の奥方と子どもが落ち延びたという伝説もある。

息子を連れて羽生城を訪ねたのは夜だった。
すでに境内は暗闇に包まれている。
景色がよく見えない。

目で見ようとするのではない。
心の目で見る、
とそんなハイレベルなことはできず、
往古に想いを馳せることくらいだ。

息子は神社を参拝。
さして恐がりもせず、
拝殿の前で手を合わせていた。

夜の参拝を気味悪がる人もいるが、神社は聖域。
幽霊が出るとしても場違いな気がする。
出るなら羽生城主に会ってみたい。
あるいは重臣に。

羽生城はいつ、誰が築城したのか謎に包まれている。
戦国時代後期には上杉謙信に属し、
天正2年(1574)に自落。
天正18年(1590)までは忍城主成田氏の支配を受けた。
その後、大久保忠隣が羽生城主となったが、
慶長19年(1614)に忠隣が改易になったことで、
廃城となってしまう。

もし羽生城が山城だったならば、城の遺構は多少残っていただろうか。
しかし、平地に築かれた平城。
時代の流れとともに消滅していったのだろう。
そして、幕末に陣屋が構築されるにあたって、
遺構は全て消滅したと言われる。

羽生城址碑は天神社の境内に建っている。
城址というより、神社参拝として行ってもいいだろう。
コメント (2)
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