
Photo: Studio1 Hirokuchi-zaka Studio @Tokyo
今日Fecebookに、市ヶ谷にある老舗レコーディングスタジオ、一口坂スタジオが1月末で閉鎖する、そのお知らせのハガキが届いた・・・という投稿が一口坂仲間のAさんからあった。
年末にやはり一口坂仲間のMさんに「一口坂が閉鎖するらしい」という事は聞いていたんだけれど、まさか!っと思っていたので、今日は寂しい気持ちになっている。
新卒で入社した一口坂スタジオが閉鎖になる。「私温室育ちだから」とずっと今でも言うくらい、みんなにかわいがってもらった職場だった。仕事してるのに「今日学校だから。」って間違って言ってしまう事もあったくらい。みんな優しくて面白い人ばっかりで・・・。今でもここの仲間や先輩たちは私を「クミちゃん」と呼んでくれる
無くなってしまうのはとっても寂しい・・・。KLのSynchrosound studioも閉鎖になって久しい。音楽業界は本当に厳しい。レコーディングや販売のスタイルに大きな変化があったこともあるよね。音質にこだわる人が減ったという事もあるんだろうし・・・。音楽が手軽になった・・・とも言えるし・・・。
音楽は消えるはずはないのだから何か考えないといけないよね・・・。
以前に書いたことがあったかもしれないけれど、高校で進路を決める時に、高校で作った映画の影響が多大にあり、音楽もやっていたこともあって、「映像に音をつける仕事とかは面白そうだな・・・」と思い、先生に相談をした。「どんな勉強をすればいいのですか?」と。返事は「う〜〜ん・・・分からないなぁ」と(笑)。
調べてみると専門学校がある事を知り、「なんだ、そういうことなのか!」と思い、親に相談すると大反対。特に父は医療関係に進ませたかったので、分かった・・・と言ってもらうまでに相当時間がかかった。
医療関係って言っても、理数系は好きじゃなかったし、高3ではすでに文系だったので、私の頭には医療関係は全く候補にはなかったんだけど・・・。
今の子たちには考えられないのかもしれないけれど、当時は短大に行ってOLになって、結婚して、寿退社というのが主流だったのですよ。そして、私もキャリアウーマンなんて全く目指していなかったし、結婚するまでの数年仕事をするなら、自分が楽しい面白いと思える仕事をした方がいい・・・って思ったんですよね。だから現場にも早く出たかった。何しろ25歳くらいで結婚するんだろうって思ってましたから。
今でこそ、職場体験とか職業について学ぶ時間や、そういう本もあるけれど、当時はそんなのも無くて、振り返れば直感で進路を決めていたような気もします。
学校にいある間は、大手の音響ハウス(映像もある)の写真を見ては「このレベルのスタジオに絶対に行く」と決めていました。所が、いざ就職の時期になると、映像関係での女子の技術採用は当時なく(今は違いますけどね)、父親に絶対にちゃんとした所に就職をする・・・と啖呵を切っていたので焦ったなんてもんじゃなかったです。
う〜〜ん・・・と思っていたある日、レコーディングのコースの子から「一口坂でCDのマスタリング・エンジニアを募集してるみたいだけどクミちゃんも受ける?」と聞かれ、受けることにしたのです。CDのマスタリングの編集自体はビデオの編集とあまり変わらなくて、元々は音楽もやっていたし、いいかな・・・って思ったんですよ。レコーディングの子は自分のライバルになってしまう私に話を知らせてくれたのは本当に優しい・・・と思いましたし、ありがたかったです。
一口坂の当時技術部長と私が参加していたセミナーの先生が友人で、一般ではなくそういう伝手で入ってきた就職試験の情報でした。だから、受験したのも2校、この先生が担当していた学校からのみで、8人の女子の受験でした。
面接の時に「なぜこの仕事に就きたいと思ったのか?」と聞かれて「人生は一度しかないので、自分の興味のある、面白そうな仕事をやってみたいと思った。」と答えたんですよね・・・。帰りお堀端を歩きながら市ヶ谷の駅に向かう時に「4月桜が咲くときは私はこの道を絶対に歩いている。」そんな風に思ってました。
そして、晴れて一口坂スタジオの女性エンジニア第一号になったのでした。1月からスタジオにはバイトで行っていて、学校で習った事よりも、現場で覚えたことの方が多くありました。丁寧にトレーニングをしてもらって本当にラッキーだったと思います。当時はバブル時代で余裕もあったのでしょう・・・。1年間午後から毎日ポニーキャニオンの録音部に丁稚奉公に行っていたので、本当に1年かけてトレーニングしてもらった・・・という贅沢さなんです。なのに早くやめてしまって申し訳なかったです・・・。
入社した時に、CDのマスタリングルームと第5スタジオがオープンになり・・・。
これがマスタリング・ルームなんですけど。(サイトから拝借)私がいた頃に使っていた物もありますね。モニターの土台になっている丸太は私がいた頃に入れた物です。

懐かしいです・・・。左側にあるアナログのテレコ。このテレコね、コンピューターのバグで1度暴走しちゃったことがあって、止まらくなっちゃって、ハーフインチの『マスターテープ』が切れちゃったことがあるんです。死にそうになりました。マスタリングが終わっていたので、デジタルで音源がちゃんとあったから良かったけど、その場で倒れそうになったよ・・・。それ以来コンピューターは信じてません。
もうお亡くなりになったのですが、メンテナンスに川西さんという凄い方がいて、その人は何でも作れたんだよなぁ。手のかかる作業でこれじゃ時間がかかってしょうがないと悩んでいたら「どういうのがあればいいの?なんでも言って?」と言うので、「こうやると自動的にこうなるのがあるといいんだけど」というと、しばらくしたらそれを作って持ってきてくれて、『すごーい!なんでも作れるんだ・・・。」と思ったことがありました。
ブログのトップの写真は第1スタジオで、私が辞める年にオープンになり、確かオープンしてすぐは3か月くらいTMネットワーク(知ってるかな?小室哲也のバンド)が入っていたように思います。2008年にギリシャのプロジェクトでこのスタジオを使わせてもらいました。自分がクライアントとしてこのスタジオに来る日があるとは夢にも思っていなかったですね・・・。オーケストラの録音ができる大きなスタジオなんですよ・・・。
でも、手が全く入ってないことにも少し驚きました。大体10年くらいでリニューアルはする・・っていう感じだったので。
ここは第2スタジオ

リズム録りやバンドなんかに人気のスタジオでした。この写真は私が辞めた後にリニューアルしていて、私がいた頃とは違います。
ここは第3スタジオ

ここも私が辞めた後にリニューアルしています。私がいた頃は、このスタジオは確かチェッカーズの定番スタジオだったと思います。
アルバムのレコーディングの時はバンドなどは長くスタジオに入ってますから、住人みたいになってたりして(笑)。
ここは第4スタジオ

このスタジオはブースが一つあって、主にミックス・ダウン、ボーカル録音に使われていました。明石家さんまさんの魔のボーカル録りもここで行われていたのです・・・。
ここは第5スタジオ

CDマスタリングの部屋と同時にオープンしたスタジオで、ミックスやmidi、そしてサラウンドのミックスができるように・・・と先端を行っていたスタジオですね。
そもそも、私がスタジオに入った頃(20歳)、CDが出始めた感じで、家電店のステレオコンポにはまだレコードプレーヤーがオプションで買える時だったんですよ。
音楽業界は本当に元気でした。この一口坂スタジオはニッポン放送の傘下なのですが、ポニーキャニオンと同じビルにあって、このビルは『たい焼きビル』と言われていたんですよ(笑)。そう、あの「およげたいやき君」のヒットで作られた・・・と言われてました(笑)。本当かどうかは知りませんが・・・。
ポニーキャニオンは本当に売れてました。一口坂は同じフジサンケイ・グループでしたし、ポニーキャニオンのレコーディングスタジオ・・・という位置づけにありましたから。でも、ポニーキャニオンのスタジオではないんですよ。独立したスタジオだったんです。
一口坂スタジオはニッポン放送の傘下で資本もニッポン放送です。ポニーキャニオンもそうでした。その後、ポニーキャニオンはポニーキャニオングループっていうのが出来て、一口坂はニッポン放送グループのままだったんです。
だから、今回の閉鎖は、営業がつらいということもあるかもしれないですけど、もしかしたらニッポン放送の状態も良くないのかもしれないですね。
ドラマで「業界君が行く」っていうのがあったのを覚えていますか?とんねるずが出ていて、レコード会社の事を描いたドラマなんですが、そのロケにも使われていました。ドラマの内容がポニキャンの実在の名物ディレクターの事を言っていたりして結構面白かったです(笑)。
ベスト10の中継も何度もありましたね。
駐車場にはジャニーズの追っかけや、チェッカーズの追っかけがいつもお目当てを暑い夏も、寒い冬も待っていましたねぇ・・・。
バブルで華やかな時期で、音楽も元気で、そしてここから沢山のアーティストが音楽を生んでいたんです。
かのビートルズが使っていたアビーロードスタジオが数年前にやはり閉鎖の危機があって、閉鎖に追い込んではいけない・・・という運動もあったり、資金投入されてなんとか営業は続いていますが、一口坂はダメだったのかな・・・。
これらの機材も全部ばらしてしまうのか、それとも別の名前で、リニューアルして、オーナーが代わって生まれ変わるのか。
せめて後者だといいと思う。
私の青春の一ページが消えてしまうのは本当に寂しい・・・。
今日Fecebookに、市ヶ谷にある老舗レコーディングスタジオ、一口坂スタジオが1月末で閉鎖する、そのお知らせのハガキが届いた・・・という投稿が一口坂仲間のAさんからあった。
年末にやはり一口坂仲間のMさんに「一口坂が閉鎖するらしい」という事は聞いていたんだけれど、まさか!っと思っていたので、今日は寂しい気持ちになっている。
新卒で入社した一口坂スタジオが閉鎖になる。「私温室育ちだから」とずっと今でも言うくらい、みんなにかわいがってもらった職場だった。仕事してるのに「今日学校だから。」って間違って言ってしまう事もあったくらい。みんな優しくて面白い人ばっかりで・・・。今でもここの仲間や先輩たちは私を「クミちゃん」と呼んでくれる
無くなってしまうのはとっても寂しい・・・。KLのSynchrosound studioも閉鎖になって久しい。音楽業界は本当に厳しい。レコーディングや販売のスタイルに大きな変化があったこともあるよね。音質にこだわる人が減ったという事もあるんだろうし・・・。音楽が手軽になった・・・とも言えるし・・・。
音楽は消えるはずはないのだから何か考えないといけないよね・・・。
以前に書いたことがあったかもしれないけれど、高校で進路を決める時に、高校で作った映画の影響が多大にあり、音楽もやっていたこともあって、「映像に音をつける仕事とかは面白そうだな・・・」と思い、先生に相談をした。「どんな勉強をすればいいのですか?」と。返事は「う〜〜ん・・・分からないなぁ」と(笑)。
調べてみると専門学校がある事を知り、「なんだ、そういうことなのか!」と思い、親に相談すると大反対。特に父は医療関係に進ませたかったので、分かった・・・と言ってもらうまでに相当時間がかかった。
医療関係って言っても、理数系は好きじゃなかったし、高3ではすでに文系だったので、私の頭には医療関係は全く候補にはなかったんだけど・・・。
今の子たちには考えられないのかもしれないけれど、当時は短大に行ってOLになって、結婚して、寿退社というのが主流だったのですよ。そして、私もキャリアウーマンなんて全く目指していなかったし、結婚するまでの数年仕事をするなら、自分が楽しい面白いと思える仕事をした方がいい・・・って思ったんですよね。だから現場にも早く出たかった。何しろ25歳くらいで結婚するんだろうって思ってましたから。
今でこそ、職場体験とか職業について学ぶ時間や、そういう本もあるけれど、当時はそんなのも無くて、振り返れば直感で進路を決めていたような気もします。
学校にいある間は、大手の音響ハウス(映像もある)の写真を見ては「このレベルのスタジオに絶対に行く」と決めていました。所が、いざ就職の時期になると、映像関係での女子の技術採用は当時なく(今は違いますけどね)、父親に絶対にちゃんとした所に就職をする・・・と啖呵を切っていたので焦ったなんてもんじゃなかったです。
う〜〜ん・・・と思っていたある日、レコーディングのコースの子から「一口坂でCDのマスタリング・エンジニアを募集してるみたいだけどクミちゃんも受ける?」と聞かれ、受けることにしたのです。CDのマスタリングの編集自体はビデオの編集とあまり変わらなくて、元々は音楽もやっていたし、いいかな・・・って思ったんですよ。レコーディングの子は自分のライバルになってしまう私に話を知らせてくれたのは本当に優しい・・・と思いましたし、ありがたかったです。
一口坂の当時技術部長と私が参加していたセミナーの先生が友人で、一般ではなくそういう伝手で入ってきた就職試験の情報でした。だから、受験したのも2校、この先生が担当していた学校からのみで、8人の女子の受験でした。
面接の時に「なぜこの仕事に就きたいと思ったのか?」と聞かれて「人生は一度しかないので、自分の興味のある、面白そうな仕事をやってみたいと思った。」と答えたんですよね・・・。帰りお堀端を歩きながら市ヶ谷の駅に向かう時に「4月桜が咲くときは私はこの道を絶対に歩いている。」そんな風に思ってました。
そして、晴れて一口坂スタジオの女性エンジニア第一号になったのでした。1月からスタジオにはバイトで行っていて、学校で習った事よりも、現場で覚えたことの方が多くありました。丁寧にトレーニングをしてもらって本当にラッキーだったと思います。当時はバブル時代で余裕もあったのでしょう・・・。1年間午後から毎日ポニーキャニオンの録音部に丁稚奉公に行っていたので、本当に1年かけてトレーニングしてもらった・・・という贅沢さなんです。なのに早くやめてしまって申し訳なかったです・・・。
入社した時に、CDのマスタリングルームと第5スタジオがオープンになり・・・。
これがマスタリング・ルームなんですけど。(サイトから拝借)私がいた頃に使っていた物もありますね。モニターの土台になっている丸太は私がいた頃に入れた物です。

懐かしいです・・・。左側にあるアナログのテレコ。このテレコね、コンピューターのバグで1度暴走しちゃったことがあって、止まらくなっちゃって、ハーフインチの『マスターテープ』が切れちゃったことがあるんです。死にそうになりました。マスタリングが終わっていたので、デジタルで音源がちゃんとあったから良かったけど、その場で倒れそうになったよ・・・。それ以来コンピューターは信じてません。
もうお亡くなりになったのですが、メンテナンスに川西さんという凄い方がいて、その人は何でも作れたんだよなぁ。手のかかる作業でこれじゃ時間がかかってしょうがないと悩んでいたら「どういうのがあればいいの?なんでも言って?」と言うので、「こうやると自動的にこうなるのがあるといいんだけど」というと、しばらくしたらそれを作って持ってきてくれて、『すごーい!なんでも作れるんだ・・・。」と思ったことがありました。
ブログのトップの写真は第1スタジオで、私が辞める年にオープンになり、確かオープンしてすぐは3か月くらいTMネットワーク(知ってるかな?小室哲也のバンド)が入っていたように思います。2008年にギリシャのプロジェクトでこのスタジオを使わせてもらいました。自分がクライアントとしてこのスタジオに来る日があるとは夢にも思っていなかったですね・・・。オーケストラの録音ができる大きなスタジオなんですよ・・・。
でも、手が全く入ってないことにも少し驚きました。大体10年くらいでリニューアルはする・・っていう感じだったので。
ここは第2スタジオ

リズム録りやバンドなんかに人気のスタジオでした。この写真は私が辞めた後にリニューアルしていて、私がいた頃とは違います。
ここは第3スタジオ

ここも私が辞めた後にリニューアルしています。私がいた頃は、このスタジオは確かチェッカーズの定番スタジオだったと思います。
アルバムのレコーディングの時はバンドなどは長くスタジオに入ってますから、住人みたいになってたりして(笑)。
ここは第4スタジオ

このスタジオはブースが一つあって、主にミックス・ダウン、ボーカル録音に使われていました。明石家さんまさんの魔のボーカル録りもここで行われていたのです・・・。
ここは第5スタジオ

CDマスタリングの部屋と同時にオープンしたスタジオで、ミックスやmidi、そしてサラウンドのミックスができるように・・・と先端を行っていたスタジオですね。
そもそも、私がスタジオに入った頃(20歳)、CDが出始めた感じで、家電店のステレオコンポにはまだレコードプレーヤーがオプションで買える時だったんですよ。
音楽業界は本当に元気でした。この一口坂スタジオはニッポン放送の傘下なのですが、ポニーキャニオンと同じビルにあって、このビルは『たい焼きビル』と言われていたんですよ(笑)。そう、あの「およげたいやき君」のヒットで作られた・・・と言われてました(笑)。本当かどうかは知りませんが・・・。
ポニーキャニオンは本当に売れてました。一口坂は同じフジサンケイ・グループでしたし、ポニーキャニオンのレコーディングスタジオ・・・という位置づけにありましたから。でも、ポニーキャニオンのスタジオではないんですよ。独立したスタジオだったんです。
一口坂スタジオはニッポン放送の傘下で資本もニッポン放送です。ポニーキャニオンもそうでした。その後、ポニーキャニオンはポニーキャニオングループっていうのが出来て、一口坂はニッポン放送グループのままだったんです。
だから、今回の閉鎖は、営業がつらいということもあるかもしれないですけど、もしかしたらニッポン放送の状態も良くないのかもしれないですね。
ドラマで「業界君が行く」っていうのがあったのを覚えていますか?とんねるずが出ていて、レコード会社の事を描いたドラマなんですが、そのロケにも使われていました。ドラマの内容がポニキャンの実在の名物ディレクターの事を言っていたりして結構面白かったです(笑)。
ベスト10の中継も何度もありましたね。
駐車場にはジャニーズの追っかけや、チェッカーズの追っかけがいつもお目当てを暑い夏も、寒い冬も待っていましたねぇ・・・。
バブルで華やかな時期で、音楽も元気で、そしてここから沢山のアーティストが音楽を生んでいたんです。
かのビートルズが使っていたアビーロードスタジオが数年前にやはり閉鎖の危機があって、閉鎖に追い込んではいけない・・・という運動もあったり、資金投入されてなんとか営業は続いていますが、一口坂はダメだったのかな・・・。
これらの機材も全部ばらしてしまうのか、それとも別の名前で、リニューアルして、オーナーが代わって生まれ変わるのか。
せめて後者だといいと思う。
私の青春の一ページが消えてしまうのは本当に寂しい・・・。












お疲れ様でした!
私なんかよりもずっとずっと内部の人は心が痛いかと思います。
近いうちにお会いできるといいですね。
短い間でしたがお世話になり、プロの世界の空気と厳しさ、楽しさを教わった素敵な場所でした。
(オープン前に3スタでクミコさんがスタインウェイを軽やかに鳴らしていたのを今でも覚えております。)
確かに残念ですが、関わった方々がそこで得たことを生かし続けて働き続けていくことで一口坂スタジオは「行き続ける」のだと信じて当方も働いていきたいと思っています。
(ちなみに当方縁あって現在は本業の傍ら、カエル型の電子楽器の開発保守の仕事をしています。)
本当にお久しぶりです!よく、よく、覚えていますよ!コメント嬉しいです!
(しゃぶしゃぶの食べ放題、焼肉の食べ放題、のお店など詳しかったですよね(笑)。ご一緒はしたことなかったですけど(笑))
本当に素敵な時代、楽しい仲間、プロの世界がそこにありましたよね。トップスタジオで働いている、そういうプライドもありました。
私はマレーシアのクアラ・ルンプールにあるスタジオにいたんですが、そこもなくなってしまいました。でも、そこで働いていた仲間は今も繋がっています。
一口坂も、生き証人の私たちが「生かして」いきたいですね。是非、集まる機会があるといいと思っています。
taguchiさん、私の事を見つけてくれてありがとう!Facebookをやっているようでしたら、是非、そちらでも!
言い尽くせない
寂しさが
そうですよね。色々な思いや思い出が胸に迫ってきますよね・・・。
昔ニーブを販売していた会社に居たものです
昨年、その会社も無くなってしまいました
本当の音作りをする人、求めている人が
少なくなるのは悲しいことですね
コメントありがとうございます。
音楽業界から遠のいていたので、sakuraさんのコメントを読んで驚きました。
ネットですぐ検索しました。ゼネ通さん、去年なくなってしまったんですね・・・。
NeveはVRが一口坂に入ってましたよね。
クアラ・ルンプールのなくなってしまったSynchrosound Studioには、Capricorn, Logic2, Logic3がありました(ここで働いていたんですけど)。
SSLやAMS Neveなど本社はどうなんでしょうか。ホールも増えているわけではないですし、やはり厳しい状況なのでしょうか。
本当に寂しいです。
匠の世界がなくなっていくのか・・・。音楽が身近になった分、極みが後退している・・・ということでしょうかね・・・。
やってきました。
80年代から90年代にかけて作詞家をしていたので
一口坂にもよく通いました。
ポニキャのアイドル全盛時代の頃です。
作り手にとってはいい時代だったような気がします。
クミコさんとも、もしかしてお目にかかったことあるのかしら。それとももっとお若いのかしら。
いろんなものが消えていく。
寂しいなあ。
コメントをありがとうございます!
今回、一口坂の事を書いたら、沢山の方が寄ってくださり、びっくりしています。
私が入社したのが87年なので、きっとお会いしたことがあると思います!
と、言いましても、私はマスタリングだったので、録音スタジオでの作業にはかかわっていないので、管理室やロビーで・・・かな・・・と思います(笑)。
本当に色々な物が消えて行ってしまいますね。
こんなに老舗の有名スタジオが・・・と思うと残念です。
寂しいですね・・・。