冬の陽だまり 夏の木かげ

宮澤賢治じゃないけれど、ソウイウモノニワタシハナリタイ !
旧ブログタイトル 「 アラ環の人生立て直しプログラム 」

啓蟄(けいちつ)の頃

2017-03-06 19:15:02 | 家族
二十四節気の一つ、啓蟄
冬眠していた虫が、春の気配を感じ、土から出てくる頃

今年は、3月5日のようですが、
調べてみると、
「太陽暦の3月5日または6日から始まり、
春分(3月20日あるいは21日)までの15日間であるが、現行歴では、その初日を言う。」
とありました。


3月6日は、次男の誕生日です。

次男は、3人の中で1番安産でした。
23時頃陣痛が始まり、翌3:16に、誕生しています。

そしてよく眠る子でした。
長男は夜泣きがひどくさんざんでしたから、本当にありがたかったです。

幼少期は、明るくやんちゃで、みんなを楽しくさせる子でした。
「みんなの歌」 や、レンジャーもののテーマソングに合わせて、
歌って踊って…
皆を和ませてくれたそんな姿が、今も鮮明に思い出されます。

そんな風に目立っていたからか、
次男は、地域のジャイアンとその子分たちにいじめられました。
でも小学生のうちは、
上級生であろうと誰であろうと、勇敢に立ち向かっていました。
夫や私には、その姿が頼もしく映っていました。



ところが中学校で、13~4歳の子どもには、
到底太刀打ちできないし、受け入れることもできないことが、次男を待ち受けていました。
そこには、教育者にあるまじき、とんでもない人物が存在していました。
S.Y.という名の、音楽の女性教師です。

学校に怒鳴り込んだ親も数知れずと聞きますが、
校長も教育委員会も、結局野放し状態でした。
部活で結果を出すから、親の訴えは聞き流しているんだと、もっぱらの噂でした。
本人はもちろん、学校側からの謝罪は、一切聞いたことがありません。

子どもたちも、次の標的になることを恐れて、
教師の側に回って、一緒にいじめるということが横行していました。
次男と幼稚園時代から一番仲の良かった子は、
そのことがもとで不登校になり、結局転校してしまいました。

この人は、いったいどれだけの子どもの心にトラウマを残したのでしょう!?
10数年在籍したあの学校だけでも、毎年必ず数人の犠牲者が出ていましたし、
転勤後も、しばらくは風の便りにいろいろな話が流れてきていましたから、
想像するだに、恐ろしいことです。

10数年遅く生まれていれば、
次男やあの子達も、そんなひどい目に合わなくて済んだのではないかと思います。
今は、その類のことには世間の目が厳しくなり、
学校や教育委員会の隠ぺい体質に、鋭いメスが入るようになっていますから…。
残念でなりません。

次男は、心を閉ざしてしまいました。
希望に満ちてこの世に出てきたのに、再び土の中に戻ってしまったかのようでした。

私達親子の結束が強まったのは、このできごとによるところが大きかったと思います。

高校に行ってもなかなか回復できず、次男にとって辛い日々が続きました。
そんな中でも、写真コンクールで受賞したことと、
今も交流が続いている親友と出会えたことが、救いだったかもしれません。



次男が再びの啓蟄を迎えたのは、大学に行ってからでした。
尊敬できる教授2人と出会えたことで、
中学時代に失った、教育者である大人への信頼を、
ようやく取り戻すことができたのでした。

次男はようやく自分の居場所を見出し、
失われたこれまでの時間を取り戻すかのように、周囲も眼をみはるような頑張りを見せていました。
2年次は、二つの研究室を掛け持ちし、
前出の片方の教授から、「授業料、倍払え!」 なんて冗談を言われていました。


その後も決して順調とは言えず、いろんな苦労を強いられていますが、
その苦労のおかげで、
少しずつたくましくなり、地に足が付き始めていることを感じます。

そしてそんな中でも、
ずっと思いやりの心と誠実さは、失くさないでいてくれました。
そのことを、とても誇りに思っています。

あの陽気でやんちゃでのびのびしたところは、未だ封印したままですが、
でも、いつか復活させてくれるんじゃないかと、まだ希望は捨てていません。(笑)



次男は多趣味ですが、その中でも特に、
ロボットの絵を描くことに、多くの時間を費やしています。
そして 「形・型」 にこだわり、今一番お気に入りのトランスフォーマーに、
小さな改造を重ねることを楽しんでいます。

最近、そんな趣味の分野で、新しい交流を始めたようです。

それがいつか芽をだし、成長し、花開くといいね!
うん、きっとそうなっている!
  
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4 コメント

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xufang106@hotmail.com (sum)
2017-03-06 21:56:22
みんないろんな苦労をして大人になりますね。わたしの母の気持もよくわかります。
sumさんへ (紅実子)
2017-03-06 22:23:19
ほんとにそうですね。
母親としては、それらの辛い体験も乗り越えて、強くたくましく生きてほしいと願っています。
楽しく幸せにあふれる人生を取り戻せますようにと、いつも祈っています。

sumさんの記事、いつも「クスリ」とさせられています。
また楽しみにしていますね。

こんばんは (のびた)
2017-03-15 23:13:20
なるべくお気に入りの方には コメントを残そうと考えていますが この記事は見落としていました
息子さんの長男 次男 それぞれに想いを込めて書かれている母親としての紅実子さんの想いに敬服です
子どもの時代の 教師の存在が どんなに大人になって影響を与えるか 課題は大きいです
教師は子どもにとって絶対であり 服従です
それがため 自殺に追い込まれる生徒も昨今でも聴きますね
私は自分に置き換えて息子さんの気持ちが分かります
小学校高学年の男性教師は ひどいものでした
クラスで騒いでいたりすると 共同責任で 男子は二列対面で並ばされ 互いに相手の頬を殴れと迫りました
止むを得ず殴った子もいますが 私は殴れません
そしてこっぴどく殴られました 今なら暴力教師で処分があるでしょう
中学では 男性教諭が私がクラスの非行生徒の悪戯をカバーしたと 全員の前で罵り これが私の登校拒否へとつながりました
学校へ行くのが嫌になり 親には内緒であちこち毎日放浪して 下校時間に合わせて家に帰ります
一学期の途中から夏休みを超えました 母は薄々気づき通信簿をどうしたか聴きます 忘れた無くしたと言い訳 また2学期も続いて長期に登校拒否 時には授業料とか 教材費とかウソをついて母から何がしかの金を貰い 雨の日や雪の寒い日は 映画館で時間を過ごしたこともあります
やがて年を越えて9か月 中学の登校拒否は続きました
ある日 母はお前にそんなに悲しいことがあるなら一緒に死のうと私に泣きながら言ったのです
この頃には哀しいとか恨みとかは消えて ただ惰性の日でした
母の哀しみを想い 翌日から学校へ行きました
行きづらかったけれど覚悟は決めました
以後必死に勉強を続け 3年卒業時には みんなに追いつき追い越しました
貧しい家庭でしたので高校は働きながら学ぶ夜間高校野球 その中で一時は教師になりたかった時があります それは反面教師でした
大学へ進学は無理で諦めましたが 何とか社会人になりました
長くなってすみません
次男さんの登校拒否が私と重なってしまいました
でも その後 尊敬できる教師と巡り合ったこと 本当に良かったと 心から思っています
これからは 明るく生きることもできる親思いの息子さんになってくれるでしょう
素敵な息子さん 娘さんです
Re:こんばんは (紅実子)
2017-03-15 23:34:19
のびたさん、お忙しいのにもかかわらず、
二つの記事へのコメント、本当にありがとうございます。
それにしてものびたさん、波瀾万丈の人生だったんですね。
いろいろあって、それらを全部乗り越えて、今の明るく朗らかなのびたさんがいること、
本当に勇気付けられます。
次男は、本当に優しい子なんです。
そして本来明るく、陽気な子なんです。
次男も、全部乗り越え、きっと本来の明るさを取り戻してくれるように思えてきました。
次男ものびたさんのコメントに、きっと勇気付けられることと思います。
本当にありがとうございました。

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