冬の陽だまり 夏の木かげ

宮澤賢治じゃないけれど、ソウイウモノニワタシハナリタイ !
旧ブログタイトル 「 アラ環の人生立て直しプログラム 」

魂の課題 再び

2017-07-30 09:00:00 | 生きかた
生死をさまよった事故の後、
娘を産んだことだけは大正解でしたが、その他は、間違いだらけでした。


3か月後には、リハビリに通いながらも職場に復帰しました。
いつまでも不在にして、他の人の負担を増やすことは、私の主義に反したからです。

さすがに、最初の1週間くらいは思いやってもらえましたが、
それも言葉の上だけのことで、仕事を分担してもらえるでもなく、
あっという間に、私の負担だけが明らかに多い、もとの形態に戻っていました。

28歳で係長になってからずっと、
周りの期待に応えようと頑張る → さらに期待される → さらに頑張る → さらに期待される
そんな風に、自分を追い込んでしまっていました。
ハードルは、どんどん上がっていきます。
超えた時点で、そのレベルは当たり前のことにされてしまうのです。

本人は辛くて辛くて仕方ないのに、取っている行動は真逆ですから、
周囲は、私の本音に気付いて思いやってくれるはずもありません。


一方家庭でも、さすがの姑も、事故直後は優しくしてくれました。
頑張ってくれました。
でも、こちらも、長くは続きませんでした。


半年も経過した頃には、職場でも、家庭でも、
事故は完全に過去のことになってしまっていました。


しかし5年くらいは、痛みやしびれによる感覚障害と、ずっと闘っていたのです。

「 痛みが色になって表れればいのに…
そうすれば、もっと周囲の理解や労わりが得られるでしょうに… 」

心の中ではそんな風に悲鳴を上げているのに、
これ以上迷惑をかけてはいけないと思うあまり、
一方、楽をしたくてズルをしているんじゃないかと思われることを恐れるあまりに、
「 子どもだって産んでいるんだから大丈夫でしょ!? 」 という声も聞こえてきそうで、
結局は頑張り過ぎてしまったのでした。


姑は、その辺をけん制することにおいては、天才的なんです。
こんな風に、自分が楽をするために、平気で人に負担を押し付ける人を嫌悪していましたし、
そうはなるまいと思うあまりに、結局は無理をしてしまうのです。



( 7月26日の夕暮れです。 )


この事故は、そんな悪循環を断ち切る絶好のチャンスだったのに…。
人生を仕切り直す絶好のチャンスを、せっかく神様がプレゼントしてくれたのに…。



私は、命を落としかけながらも、後遺症という大きな代償を払いながらも、
そのチャンスを生かすことが、そのアンバランスを修正することが、
できなかったのでした。


だけど、そんな風に自分の首をしめていたのは、まぎれもない自分自身だったと思います。

姑にも、職場の誰かの心無い言葉にも、過剰反応することなく、
もっと冷静に、もっと自分を大切にする視点で、応戦できれば良かったのです。


悪意を真に受けないこと、ムキにならないこと…
もっと上手に頼ること、上手に助けてもらうこと…
任せて、辛抱して待つこと…


そのあたりが、私がこの、事故を通して学ぶべきことだったと思います。
そして、この人生を通して学ぶべき、私の 『 魂の課題 』 だと思っています。


多くのことを抱えて( 引き受けて )、いつも崖っぷちにいながら
降りかかってくる火の粉を払うことで精いっぱいだった私には、
とてもそんな余裕はありませんでしたし、到底気付くことができなかったのでした。



( 同日、夕暮れ時の鳥海山 )


以前もどこかの記事で、少し触れたと思うのですが、
人は、克服すべき魂の課題を設定し、
それにふさわしい環境も設定して、生まれてくるという説があります。

そういう視点でものごとを見つめると、腑に落ちることばかりです。
何故、この両親を選んだのか? 
何故、この人と結婚したのか?


両親には頼ることができない。 → なんでも自分一人でやろうとする。 解決しようとする。

母や、夫の父・祖母のような自己チュウにはなりたくない! → 異常なまでの自己犠牲を払ってしまう。
おまけに夫の父は、ドが付くほどのケチ! どれだけ搾取されたことか…。

夫の両親のようにはなりたくない! → ずるくて卑怯な人を許すことができない。

  
生涯をかけて学び取る課題ですから、そう簡単にはいきません。
見事に、逆方向に行くように、トラップを仕掛けて生まれてくるのだと思います。



( 同日、夕暮れ時の月山 )


まず手始めに仕事を手放し、多くの持ち物を手放し、
物理的にも精神的にも、空間 = ゆとり が生まれてから、
そのことに、ようやく気付くことができました。


今、身体的にはかなりガタガタですが、心は穏やかに満たされています。
そりゃあ、さざ波が立つ日もありますが、やがてまた、何事もなかったように凪に戻ります。


もう、頑張るは手放します。
「 頑張る 」 は、下手すると 「 我を張る 」 になってしまいますからね。

自己犠牲も手放します。
それは、限界を超えると、必ず恨みに変わるからです。

人に頼って任せることは、その人を育てることにもつながります。
私は、自分の嫌う人たちや夫を、職場の後輩たちも、その時、育て損なってしまったのですね。(笑)
夫だけは、最近急成長を見せてくれていますけど、
果たして、遅れを取り戻すことはできるでしょうか!?(笑)

生死をさまよってから、25年、4分の1世紀を経過して、
ようやく、事故に逢ったことの意味、事故から学ぶべきこと、
そして本当の自分にたどり着くことができたような気がしています。

さすがはカメの私  遅いよっっっ !!!
だけど、死の床に着く前に気付くことができて、本当に良かった~!!(笑)


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心に響く言葉 ② 『 毎日かあさん 』 より

2017-06-28 11:00:00 | 生きかた
先週、NHK の朝の情報番組 『 あさイチ 』 で、
西原理恵子さんの 『 毎日かあさん 』 が取り上げられていました。

毎日新聞に、16年にわたって連載されてきましたが、
今月で連載終了するとのことです。

ウチではずっと毎日新聞を購読していましたから、
私も、実際目にしていました。

夫と娘はちょっとしたファンでしたが、
その頃、完璧主義街道を生真面目に疾走中だった私には、
正直、イマイチな感じでした。


ところが、私なんかの思惑にはかかわらず、
連載の当初から、同世代の母親たちに共感の声があったそうで、
今は、若い世代の母親たちが 「 育児のバイブル 」 として、支持しているそうです。

今なら、私もその良さがわかります。





実際のコマとともに、エピソードが3つほど紹介されましたが、
その中で、これが、特に心に響きました。

かまってほしいとまとわりつく子どもたちに
「 お母さんお家のことで忙しいんだから、もうちょっとビデオ見ててよ 」
「 んもう 」

そして、子育てを卒業した西原さんが今思うことは、

あんなに抱っこされたがっていたんだから、もっと抱っこしてあげれば良かった

家なんてもっと汚くてよかった 洗濯ものもためちゃえば良かった 食事なんて手づくりすることなかった 」 


西原さんのメッセージが続きます。

「 とにかく子どもは汚くていいんです。部屋も汚くていいんです。店屋物でもいいんです。
一番なのはお互いが笑顔でいること
本当にみんな疲れているんです。
だからもういっぺん、優先順位ベスト3を決めて、
それ以外は燃えないゴミの日に捨ててください 」

「 もう結婚する前から決めましょうよ。
決算の時期に親の葬式にも帰れないとか、そういう職種の男を選ばないとか。
共働きで女性だけが家事を負担しなければいけないとか、
子どもが熱が出たときに帰れないとか、
そういうことをちょっとでもちょっとでも良くしようというように。
どんどんどんどんおばさんになって、自分のわがままを通してください 」


10月から、西原さんは、“かあさん”を終えたあとの第二の人生を題材に、
新しい連載を始めるということです。

楽しみです !


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魂の課題

2017-06-27 09:00:00 | 生きかた
6月24日は、かに座の新月でした。

Keikoさんの 『 月星座ダイアリー 2017 』 によれば、

「 かに座の特徴は、「 家族 」 「 親子 」 「 故郷 」 に向き合わせられること。
今までくすぶっていた家庭内の問題が表面化する事も。」

さらに、

「 自分の魂がどこから来て、そして、今からどこに向かうのか、
それを、家族や故郷との関わり合いの中で再確認すべき時。」

とあります。

私が 『 アラ環の人生立て直しプログラム 』 で、棚上げのままだったこと、
それは、母と、妹との関係でした。


これまで少しずつ暴露してきたとおり、
私は、物心付いた頃から、母に嫌悪感を抱いて生きてきました。

衝動的で、感情の起伏の激しい人でした。
支配型の、強い母でした。

妹も、母ほどひどくはないのですが、激しさは似たところがあります。
父の介護や葬儀、相続のことでいさかいがあって以来、
すっかり疎遠になってしまっています。

一方父は、お気楽で能天気な人。 
家庭内では、存在感のない人でした。

祖父は偉大な人、祖母は自尊心が高く、見栄っ張りな人でした。
母と祖母は、まさに犬猿の仲でした。


私は、いつまた母が泣き叫んで騒動を起こすかと、いつ家出をするかと、
いつも緊張して生きていました。
祖父母は、そんな両親を飛び越えて、私に期待を寄せていましたが、
それも重くて、うっとおしくて…。


私には、のびのびとした無邪気な子どもらしい時代はありませんでした。
誰かに、安心して甘え、寄りかかり、委ねるということを経験できないまま成長しました。

せめてもの慰めが、物語の世界に遊ぶこと、ピアノに没頭することでした。
つまり、現実逃避です。

その欠如が、その後の人生を、困難なものにしていたと思われます。





全てを一人で抱え、一人で頑張ってしまうのです。

それは、結婚して人生の伴侶を得てからも、変わりませんでした。
何故か夫は父にそっくり、私と姑は母と祖母の関係にそっくりでした。

そして、決して母のようになってはいけないと、異常なまでに頑張ってしまったのです。
母同様、子どもたちの前で、激しい夫婦喧嘩はやってしまいましたけど…。


これでもか、これでもかというように、困難が降りかかってきました。

仕事が繁忙のピークの時に、母が脳梗塞を発症して入院なんてこともありました。

35歳の時には、生死をさまようような事故に巻き込まれ、
今でもその後遺症に悩まされています。

それでも頑張り続けましたが、47歳の時に力尽き、1番目の職場を退職しました。


その後も紆余曲折を得て、今日に至りますが、
おびただしい物を整理し、手放し始めたところ、… … …
よく言われる通り、片付けが進むと共に、私に奇跡が起こり始めました。

物を捨てていく過程で、非難されるのを覚悟で正直に白状すれば、
一番捨てたいものは、母と夫の両親でした。

それが、3年前に、ようやく夫が別居を決意してくれ、
母は妹が住む近くに身を寄せたことで、
なんと、適ってしまったんです!


私は、「 魂は永遠のもので、解脱できるまで、何回も輪廻転生しながら磨き続けるもの 」
という説を支持しています。


「 私の今世の魂の課題はなんだったのか!? 」 ずっと考えています。


数年前までは、運命を受け入れ、耐え抜くことだと思っていました。
自分の力で、状況を改善することだと思っていました。
自分が犠牲になるしかないんだという、あきらめの境地でした。

だけど、頑張れば頑張るほど、心も体も壊れていきましたし、
わずかに状況が好転したとしても、それは焼け石に水状態でした。


今、それらを捨ててしまって思うのは、
「 頑張らなくても良かったんだ ! 」
「 むしろ頑張らない方が良かったのかも !? 」
ということです。


子どもたちは、私が苦しむ姿を見て、どんなにか心を痛めてきたことでしょう。


頑張って苦しむ姿を見せるより、
放棄すること、逃げること、幸せそうに笑う姿を見せる方が、
子どもたちには良い影響を与えたのではないか、と後悔もしました。。


折しも、麻央さんの訃報に当たり、
夫婦のあり方、家庭の在り方というものを改めて考えさせられます。


私の今世の課題は、
「 自分一人で頑張るのではなく、家族と分かち合い、心を一つにして、困難を乗り越えること 」
「 誰かに委ね、安心して生きること 」
「 自分も含め、誰も犠牲者を出さないこと 」
そんなことを学ぶことではないかと、思い始めました。

この世を去る時、
責任を一身に背負い、恨みでいっぱいで逝くより、
「 いろいろあったけど、良い人生だった 」
という心境で終えられる方が良いのではないかと思います。


今の私のこのパーソナリティーは、
あの母だったからこそ、ということも頭では理解できます。

でも、今はまだ、産んで育ててもらった恩より、
迷惑を被ったという思いの方が勝ってしまいますし、
嫌悪感を払拭できるわけでもありません。

物わかりの良い大人のふりをして、自分の心に蓋をして、
無理矢理きれいごとに着地しようとも思いません。


ただそれとは別の話で、
母は若い頃、洋裁や民芸品作りの内職をよく頑張っていました。
父は、そのお金をくすねて飲みに行く、ろくでなしでした。

それから、まだ介護支援の体制がほとんどなかった頃、
祖父には感謝の念を抱いていたから、…ということもありますが、
あれだけ仲の悪かった祖母のことも、
自宅で、最後まで看取ったことについては、称賛できることではありました。


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ナマケモノは怠け者じゃない

2017-06-26 10:00:00 | 生きかた
次男が、ナマケモノの動画を見せてくれました。

ゆ~っくりと道路を横断しているので、車が大渋滞を起こしているというもの。

「 これでも、彼らにとっては、全速力なんだよなあ。」

「 ナマケモノは、実は怠け者じゃないんだよ。 」
…と解説が続きます。

ナマケモノには、筋肉がないので、ゆっくりした動きしかできないのだそうです。
これで精一杯、これで全力投球 !


「 これでは、ドライバーたちが、苛立つだろうなあ。」 …と思ったその時、
ナマケモノが、こちら ( カメラ ) の方を振り向きました。

「 これ、ずるいよね~!」 と次男。

「 なにこれ!? かわいい~!! 」

パンダのようなタレ目 ( 実は目じゃなく、目の周りの模様な訳ですけど ) が、
妙に困り顔に見えて、
「 すみませんね~。これでも頑張っているんですけどね~。」 とでも言いたげで…。
なんだか許してしまいたくなるような…。

これも神様が授けてくれた、一種の生命維持装置と言えるでしょうか。


( 実際観た画像とは違うものですが、無料のサイトからお借りしました。)





「 実は、ナマケモノは泳げるんだよ。 地上を移動するより、ずっと早いよ!」

「 ほんとだ! 」 犬かき ( ナマケモノかき!?) で、スイスイと泳いでいます。


ナマケモノは、木にぶら下がっているだけで精一杯、最大限の力を使っているのだとか…。
その上に、食べ物を捜して、全力でゆ~っくりと枝を移動し、
つかみ取って食べなければならないので、本当に大変なんでしょう。
そのためか、鋭くて大きな爪がついています。
その爪が、地上を移動するときには、障害になってしまうんですね。


「 彼らは、天敵に見つかってしまうと、100%助からないんだよな~。」
「 その点、こいつらは… 」 と言いながら、続けて見せてくれた動画、

それは 『 飼われているナマケモノ 』

仰向けに寝転んで、横に置いてある餌を、ひたすらつかんでは食べ、つかんでは食べ…。
ナマケモノにとっては、パラダイスでしょうか?

「 かわいい~!」 という書き込みもありましたが、
私は、何となく、ゾッとするものがありました。


何となく、母を連想してしまうのです。
もちろん、ここまでひどくはありませんでしたけど…。

まだ父が元気だった頃、メタボの母は、ほとんど座椅子に座りっきりで、
よく口 ( 言葉 ) と指先だけで指図し、父を自分の手足の如く、動かしていました。
お願いというよりは、命令口調で…。
「 一体、何さま!? 」 と言いたくなるような光景でした。

父は、若い頃の罪滅ぼしのつもりもあってか、黙って従っていました。
でも、時折、私には 「 全くウチの婆は… 」 と愚痴っていたんです。

晩年、心臓が弱っていた父は、
時にハアハアしながら、母にこきつかわれていました。

父が病床に伏してから、そして父亡き後は、
その役割が、私と次男に回ってきました。


母のそんなところも、ずっと許しがたい思いでいました。

でも、母は怠け者ではなく、実はナマケモノだったんだと思えば、
ナマケモノ並みのスペックしか持っていなかったんだと思えば、
少しは私の心も慰められるでしょうか… ?


やはり、今の時点ではまだ、到底許せそうにはありません。


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麻央さん、ありがとう!!

2017-06-24 12:00:00 | 生きかた
昨日は、小林麻央さんの訃報に、
日本列島中が悲しみにあふれたのではないでしょうか。

麻央さんのブログ KOKORO. 私もブックマークに入れて、
ほぼ毎日チェックしていました。


麻央さんの人や物事に向ける眼差しは、
いつもピュアで、笑顔と思いやりにあふれています。

なぜ自分が!?
もしあの時ああしていたら!?

当然そういう風に思うわけで、
ブログでもほんの少し触れられていましたが、
麻央さんの綴る言葉は、決して恨み言や愚痴ではないんですよね。

この年まで生きながらえてきたのに、私はどうしても恨みにしてしまいがちで、
麻央さんのそんな記事を目にするたびに、居住まいを正される思いがしました。





特に印象に残っているのが、

海老蔵さんは、いろんなしがらみがあって不自由だと思われがちだけど、
彼は至って自由な人である。
麻央さんは、結婚する時に、自由にしていいと言われたにも関わらず、
自分で勝手に不自由にしている。

というような内容の記事でした。


麻央さんは自分を頑固だと言いました。
頑固だからガンになるなんて、自虐的なことも言っていました。

我慢することは自分をいじめること、
もっと早く薬に頼って、自分を楽にしてあげれば良かった。
もっと人に頼ればいいのに、
少し良くなると、一人でやろうとして頑張ってしまって、結局悪化させてしまう。


私が、できない自分を許し、心からのんびりとくつろげるようになったのは、
麻央さんのそんな言葉に感化されたということもありました。

私なんかでもそうなんですから、麻央さんのブログは、
一体どれだけの人に、勇気と感動を与えたのかと思います。


そして、海老蔵さんの支えや、家族の団結も見事でした。

人のことは変えられないと言いますけど、
麻央さんは、あのやんちゃ坊主の海老蔵さんを、みごとに変えてしまいました。

清楚で可憐なのに、意思と芯の強かった麻央さん。


34歳の若さで、幼い子どもたちを残して亡くなったかわいそうな人と言われたくない。
病気が自分の人生を代表する出来事ではない。
…と、これもブログで語られていました。

昨夜 ZERO で特集された、キャスターとしての麻央さんは、
眩しいくらいキラキラしていました。
その後の梨園の妻としての麻央さんも、幸せにあふれていました。

とっても素敵な人生でしたね!


長かった闘病の苦しみから、今ようやく解放されました。
どうぞ、ゆっくりお休みくださいね。

麻央さんは、これからも、多くの人の心の中で、生き続けていくことでしょう。


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