京急沿線には、ものすごい憧れがある。京浜東北線と並行に走っているにも関わらず、その街並みは正反対だからだ。シティ感覚のJRに対して、庶民的な京急に親近感を覚えるし、ボクの育った京成線と直通の関係にあるのも身近に感じる理由だろう。何しろ、酒都、立石の延長線上にあるのだ。
駅名も古い町名が残っていて、想像力を掻き立てる。その中でも、とりわけ気になっていたのが、青物横丁という駅である。とにかく、古い大衆酒場がわんさとありそうな駅名だ。
だが、その駅に降り立つ、機会は未だかつてなかった。いつもいつも通り過ぎるだけの駅だった。いつでも行けるだろう、そういう安心感もあった。
ひょんなことから、青物横丁へ行くことになった。ボクが担当している情報誌に寄稿している方が、鹿児島から上京したからだ。ボクとA藤君は、彼の接待をすることになったのだ。
その鹿児島の人、M浦さんは、品川シーサイドのホテルに宿を取っていた。ボクらは、そのホテルまで彼を迎えに行った。なんてことはない。品川シーサイドは青物横丁から僅かな距離だった。品川シーサイドは後付け、いくらカッコいい名前をつけても、やっぱり青物横丁なのである。
接待先は、「大空」の本店。
炭火焼きの串焼き屋さんだ。その佇まいは、見るからに大衆。オレンジのテントに黒木の建物。入口の戸には大きなガラスが入り、店内が覗ける。店はものすごい熱気だった。
どの街にも一つは流行っている焼き物屋さんはあるはず。この店は、青物横丁の代表店なのだろう。店は満員である。ボクらは予約していたので、すんなりと店に入れたが、予約なしでは入店できなかったと思う。
店の一番奥のテーブル席に、弊社の社長が一人生ビールを飲んで待っていた。そこに、我々3人が合流したのである。
M浦さんはご機嫌だった。さすが、鹿児島の酒飲みである。
我々が生ビールで乾杯するところ、M浦さんは芋焼酎のお湯割りをオーダーした。だが、すぐさま、M浦さんの顔色が変わった。
「これ、20度でごわす」。
え?ボクらは呆気にとられた。さすが、薩摩の人だ。急いで、メニューを見て、25度の芋焼酎を探す。だが、普段から芋焼酎を飲み馴れないボクらは、どれが25度なのか検討がつかないのだ。
業を煮やしたM浦さんは、席を立ち上がり、店員に直談判しに行った。
「25度の芋焼酎はないでごわすか?」
店員も咄嗟のことで、慌てふためいている。
「ちょっと待ってごわす」と、何故か店員まで、薩摩弁になった。
しばらくM浦さんの機嫌は悪かったが、ようやく「赤霧島」のボトルがきてから、彼は少し落ち着いた。
「赤霧でごわすか。おいどんらはいつも『白霧』を飲むでごわす」。
それから後は、M浦さんの独演会だった。
鹿児島には、回転寿司のお茶よろしく、サーバーにグラスをつけると、自動で焼酎が注がれるシステムの居酒屋があるという。
ホントかよ。けれど、ボクは鹿児島には行ったことがないんだ。
M浦さんは、とにかく酒が強かった。かなり、飲んでいるはずなのに、びくともしなかった。御歳71歳、酒豪である。
社長は22時過ぎに、ボクは22時半過ぎにギブアップした。
串焼きもかなり頼んだが、M浦さんとの話しに夢中になり、ほとんど味わえなかった。ただ、炭火のスモーキーな薫りに芋焼酎のうまさが倍加した。M浦さんが機嫌を戻したのは、この理由にあるのかもしれない。
昨日までは売ってなかったのに。
ちなみに、「赤霧」は地元の人でも並ばなきゃ買えないらしい。