感謝と祈りといやし

熊本アンテオケ教会の神様の栄光の表れを神様に栄光を帰しながら書いていきます

神は心を見られる

2018年01月20日 | 日記

 我が家では長年愛用の木のまな板があります。父が建設関係の仕事をしているので、仕事仲間さんが、手作りして下さった物です。

 木の表面が痛むと削って使う、という繰り返しで、いまや厚みがほとんどなくなってしまいました。そろそろ買い替えをと、あちこち探しましたが・・・。どうも昨今は、その手のものは受注生産らしく、そしてかなりのお値段(5000円からとか)で、知らないうちに高級品になっていました。

「う~ん、ちょっときびしいなあ。」と思っていた数日後、立派な(そして分厚い)木のまな板が、台所にありました。父の仕事仲間さん(前回の人とは別人)が「たまたま木を切って、もったいない(?)からまな板を作ってみた(←大工さんです)。いる?じゃ、やるよ」だそうです。

いつもだったら、「ハレルヤ、主よ感謝します。」と、喜んで、完。なのですが・・・、今回は、喜ぶよりも、何というか・・・畏敬の念を感じてしまいました(「高いな~。神様がまな板くれないかな~。」と、ただ思ってただけで、祈る。の「い」の段階にもいってなかったのですが)。

 またそのまな板が、「こんなのがいいな」と頭に思い描いていたイメージとほぼ一緒だったのが、何とも…(※まな板にも、それぞれ結構個性があり、それほど似たり寄ったりではありません)。

主に感謝します。それと、主を畏(おそ)れました。

hiromi


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