くまきち日記

名古屋に住んでいる、くまきちのたわごと。

ヒョシンくん 変化していく歌い方

2016-11-09 07:29:57 | パク・ヒョシン












パク・ヒョシンはパク・ヒョシンの道を行く


1999年の歌手パク・ヒョシンを思う。‘刃物頭(後ろは短く前髪が長いヘアスタイル)’をした真剣な顔で“してあげられないこと”を歌った彼を。
正式デビュー前に上がった先輩歌手パク・ジョンヒョンのコンサートステージ。ホイットニー・ヒューストンの“Run to you”を歌った後、
“もう私が始まるんだ”との想いに涙をポロポロ流したという彼を。あふれる才能と欲でいっぱいだった彼を。

2016年の歌手パク・ヒョシンを思う。当然のことだが17年前とは大いに変わった。洗練されたスタイル、余裕あるステージマナー、相変わらず涙は多いが不安な様子はない。
変わったことはまだある。声と音楽だ。切々とした声で かつて愛の痛みを吐き出した少年は もう笑顔で近づく未来を歌う。

だから人々は、驚く。「パク・ヒョシンがこんな音楽を?」そして驚きはすぐに二種類の反応に変わる。「パク・ヒョシンの素晴らしさをようやく知った」という人たちと
「私が知っているパク・ヒョシンを返して」という人たち。

パク・ヒョシンの歌い方の変化について議論が始まったのは2007年頃のことだ。当時発表した正規5集‘Breeze Of Sea’は叙情的なバラードであふれていた。
トレードマークともいえる太い声と切ない情緒はCDタイトルのように‘そよ風’のように軽くなった。その時の反応も今と似ていたように記憶している。
「パク・ヒョシンの素晴らしさをようやく知った」あるいは「私が知っているパク・ヒョシンを返して」と。

だからパク・ヒョシンはこの9年間 変化について説明して生きなければならなかった。10月に開かれた“I am A Dreamer”コンサートでも同じだ。
「無理に歌い方を変えたわけではない。今表現したいことを 最もよく表現できる方法を探したらこうやって歌うことになった」
笑顔でこういう恐ろしいことも言った。「私が経験したことを全部経験して 40才くらいになった時に初めてCDを出したなら 皆さんに混乱をもたらさなかったはずなのに」

胸にしみる別れの痛みを歌うにはデビュー初めの切々とした声がふさわしい。かすかな懐かしさ表現するには5集や6集の声が最高だ。
だがパク・ヒョシンはもう自分自身を取り出して私たちを語り未来を夢見る。そしてこれを最もよく表現できる声をパク・ヒョシンは出しているだけだ。

今パク・ヒョシンがぶつかったのは彼が自ら打ち出した期待感だ。胸をえぐられる悲しみと 悲しみを最大化させる声。
人々は彼らが愛した姿に基づいてパク・ヒョシンに対する期待を積み重ねた。パク・ヒョシンがこの期待を離脱しようとした時に生じる反発
(「私が知っているパク・ヒョシンを返して」)は、パク・ヒョシンが耐えなければならないことだ。

ただ否定できないのは パク・ヒョシンは変化と離脱を通じて 誰もマネできない地点に跳躍しているということだ。
そしてその底力は大衆の好みから抜け出し 自身の所信に焦点を合わせた勇断から発生する。
一時マイケル・ボルトン、イム・ジェボムと肩を並べた少年は いつの間にか ひとえに自分の名前だけで説明されるアーティストに成長した。
「ざっと行くのだったら人生をかけな」いというきっぱりした意志を楽しいメロディーに乗せて歌い、パク・ヒョシンは今 パク・ヒョシンの道を行く。
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