リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

相互規定性の例

2017-07-15 11:12:01 | 歴史への視角
 こんにちは。くそ暑い中、東京はお盆、3連休ですね。サービス業の方はご不満もありそうな。休みでない方も、まあとりあえず、どっかで休みましょうよ。時間は人間の友。っていうか、冷房漬けもよくありません。来週末は東京だと、文京朝顔・ほおづき市というのがありますね。地下鉄春日下車。ちょっと遅いですが、多少の夏の江戸情緒はあるのでは? 日光は真上から熱いので、帽子をかぶってどうぞ。
 
 さて、時間は大切であるにもかかわらず、人の時間を使ってお代も払わないと。アベではなく、連合。
 「安倍政権が提案している「残業代ゼロ法案」について、労組の連合が、これまでの反対姿勢を百八十度転換し、容認する方針であることが分かった。」ネット日刊ゲンダイ。別に朝日でもいいんだけど。
 その代わりに「対象者に年間104日の休日を確保」って、ただの週休二日制。
 連合も落ちるとこまで落ちたね。労組の皮をかぶった日経連。知らないか。じゃあ第2経団連。これ以上堕ちようがない。
 やつらはてめえらの権威付けに「政府との交渉の立場」が欲しいだけ。
 一利もありゃあしねえ。あるだけ害毒。早く潰れろ。
 もちろん30年前に作ったやつらが悪いんだが。何が「労働者の団結」だ。何が「大きいことがいいこと」だ。まだ関係者はぞろぞろ生きているはずだ。お前もお前も。自らの恥を知って反省しろ。
 と、次第に怒りが、、、下品。
 不思議なことに、左翼ネットは誰も怒ってないのね。当たり前すぎ? 怒る私が変なのだろうか、、、怒るしかないと思うのだが。
 
 まあ、下品になったので、本日はここまで。体調に気をつけて。
 
 
 、、、というわけで、気分を変えまして、マニアの方あて。 
 本日は先週の続き。先週の文中に書きました、なぜ「自衛隊は軍隊ではない」か。長くなりますので。
 (なぜ共謀罪法の有効性には軍隊が要るのか、は教えてあげません。そこまで能天気ではなくて。)

 兵隊は支配者のものではある。支配者は兵隊を指揮権に基づくなりで、これを指揮することができます。
 しかし、支配者はだからといって、兵隊をそのまま内政に投入することはできない。
 これを内政のために動かすためには、人民が軍隊を動かす指揮者となる(ことができる気がする)必要があるのです。実際に指揮をするのは政府幹部か自衛隊幹部ですが。
 現状、自衛隊は特殊団体であり、国民的人民の立場移入の対象にはならないのです。
 私たちは警察の振る舞いを云々することができます。私たちは、公衆の安全を揺るがす他人の行為に対して、おこがましくも観念的に警察庁長官になれるのです。しかして当然に警察庁幹部以下警官は、容疑者を逮捕することができる。
 他方、私たちは災害以外のことに自衛隊を動かすことができない。なぜなら最高の指揮監督権を有する首相さえできないからです。
 正確にいえば、首相でさえ、「させることがない」。法的にはできのですが、実際にさせることはしない。しなければできないのと同じ。

 ここで「私たち」というのは、世間で権力を持ちうる「私たち」です。すなわち、戦前であれば地主層・ブルジョワジー。現代であれば、いまのところ国民一般。もっともそのうちに国民が分裂すれば、資本家層とプロレタリアートの2層の構成員のことです。

 ここで最高法規たる憲法によって自衛隊が合法化された場合、最高指揮官たる首相は、自衛隊を全ての軍事行動に投入できる。自衛隊は全ての軍事行動の主人公となる。
 現代の場合、人民たる私たちが自衛隊指揮官に観念的に同化する回路の成立は、同時に、兵士による自衛隊指揮官への回路を確保します。
 こうして、自衛隊は、国家構成員全体と同一化し、国民軍となる。

 この根拠は事実認知です。
 たとえばマルキストが「隈は右翼だ。やつはアベの秘書だ」といったとします。そうであればアベには僥倖ですが、この内容には2つだけ難点があります。隈がアベの秘書であることをアベは認識しておらず、また、アベには隈に仕事を依頼した認識がない。物事は事実認知がないと役には立たないのです。
 幸か不幸か自衛隊には、災害以外で人民の事実認知に関わる活動がない。この場合、自衛隊の兵力は潜在的可能性の認知に止まり、この認知は自衛隊幹部の業務上の認知以上にはならない。
 この現状から自衛隊の自由を獲得するには、運動による社会的事実の確立しかないのですが、幸か不幸か、自衛隊関係者の運動は、国家構成員全ての認識において、許されてはいないのです。
 ここで首相がどんな性格でもできることが憲法改悪です。
 「国家の防衛のために軍隊を置く」 という、他には何も要らないこの1行により、自衛隊は国家が明示的に認め、どんな一般人も認め、手放しで国家の防衛のための他国への軍備の活用が認められ、ついでにその軍備の一端を国内の治安に活用することができる。さらにそのことに左翼過激派以外は反論ができない体制が実現します。要するに他の帝国主義諸国家及び覇権主義国家、要するに本性を現した「ただの国家」と同じレベルにやっとなれることができるのです。
 
 さて、国防軍の成立の次に、首相が実際に軍を動かしますね。そうすると(運動が結果を出したのと同様の意味で)、最高指揮官が兵士を動かした、という事実は、最高指揮官との(現状では存在する)行為共同性を根拠に人民にもその権限の受領の夢想を与える。
 同様に、将兵も最高指揮官との行為共同性という根拠と、ならびに、人民の子であり友人である自分の存在という共同的根拠によって、最高指揮官であることの夢想を授かる。ここから(1佐であれ2士であれ、大佐であれ二等兵であれ)将兵の、主体的な政治介入が可能となります(年寄り用に注記すれば、主体的なら全部良いというわけではないのです。)。そして、実際に国防軍の意思が現実化したときに、すべてのサイクルが完結し、支配権力者は万能となるのです。(トランプも、バカでなければ万能だったのに。バカと知られちゃいけないね。)
 もっともとりあえずは将兵の方々は何もいえない。よく自民党が言い訳にするように、そうそう突然には物事は変わらない。が、始まれば条件が累積され加速度的に進む。で、とりあえず現状では、海外派遣を含めた軍事の立場からの自由な行為の事実の確立と、その一部の遂行(を形式的に、しかし民衆に明示的に、命ずる最高指揮官たる首相の姿)が必要なのです。
 それによって自由な将兵は、後で裏切られることを知らぬウヨやヤクザにとっても、革命寸前までは友である右翼にとっても、操作可能な権力であり、左翼にとっては現状では鎮圧部隊の確立となるのです。詳しくは言ってあげない。

 もっとも本当は、現状でも兵士が存在しているのだから自衛隊を軍隊に仕立てることもできます。が、それには首相に根性がいる。どこに根性のある人材が隠れているか分からないので、これも教えてあげない。

 さて、おしゃべりしすぎたきらいがありますが、こういう内容では、題がむつかしい。普通に書くと右翼もやって来るし。で普通に書きません。で、追記。
 この一般国民と兵士のように、ある社会的部位と別の社会的部位とは、カテゴリーとして分けられても相互的に規定される。
 この相互規定性を「相互関係」などといってすましていてはいけない。もちろん、兵士も同じ国民だから、などと一般化してもいけない。まず初めに分ける。しかして見直す。みられるように、弁証法とは相互関係ではないのです。一方関係の二重性というのが正しい。一方関係であるからその関係にある規定性が人間の頭脳でも理解できるのであって、「相互関係」の規定性は、人間には抽象的=無内容な「相互関係します」という意味しか理解ができないものです。そんな「意味」が存在するとして、ですが。
 もちろん分けないことはそれ以前の話。全部が霧の中です。「首相が現実に軍を動かせば、国民も兵隊も相互関係的に自分でも軍隊を動かせる気がするようになる。(そして実際に自分の計画に組み込み、社会に発声し、支配権力はその中で自分に都合のいい声を増幅させていく)」。前段は、なにもいっていない。(まあ隈の本文も簡単すぎますが)
 しかしてそれぞれの側面について見直す。
 最後に両者を合わせて把握する。二つの過程が生じているのが現実だ。というわけです。
 「それが正しい」ということではありません。それ以外に人間のアタマでは理解できないでしょ、ということなのです。
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