「昔のこと- 銀座・上野・巴里」

2014年03月27日 | ドイツの暮らし
フランス、パリの出張から戻ってきた夜。
いつものように家族へのお土産は、ドイツに戻る国際間特急が発車する
北駅近く、オーガニックのパン屋さんのバゲットやカンパーニュ。
毎年2~3回、もう十年近くになる。

小さかった子供達の喜ぶ顔を思いながら、ショコラやプディング、タルト、
マドレーヌなども合わせて、いろいろと持って帰ってきた。
昭和30年代の終わり、週末ごとに両親に連れて行ってもらった銀座の映画館や
パーラーのパフェの味、輝かしいネオンの中、
母の胸に向かって一目散に飛び込んで行ったことなど、
自らの幼ない時の記憶と重なるよう。

それらは、その後に続く暗い年月の中、
時折、差し込む黄金の光のような存在だったのだろう。

 
写真: フランス、パリの出張から戻ってきた夜。  いつものように、家族へのお土産は、ドイツに戻る国際間特急が発車する北駅近く、オーガニックのパン屋さんのバゲットやカンパーニュ。毎年2~3回、もう十年近くになる。小さかった子供達の喜ぶ顔を思いながら、ショコラやプディング、タルト、マドレーヌなども合わせて、いろいろと持って帰ってきた。  昭和30年代の終わり、週末ごとに両親に連れて行ってもらった銀座の映画館やパーラーのパフェの味、輝かしいネオンの中、母の胸に向かって一目散に飛び込んで行ったことなど、自らの幼ない時の記憶と重なるよう。  それらは、その後に続く暗い年月の中、時折、差し込む黄金の光のような存在だったのだろう。


「4月1日 上野

今日から10日間、日本出張。
ドイツ・デュッセルドルフから成田への直行便が日曜日に開通しての第2便。
短い滞在だけど、京都の桜はまだ見れるだろうか。友人、知人に会えるだろうか。
さて、まずは上野到着。

20歳の頃の初めての彼女とデートした不忍池や、一人でよく通った上野文化会館の
コンサートホール。あるいは、4年近くのドイツ留学から戻って、降り立った上野の駅。
夏日のような秋晴れの空、駅地下の構内で買った手巻き寿司をほおばりながら、
不忍池を左に見つつ、公園の中、太陽の光が燦々と降り注ぐ中、一人逍遥するように
胸がいっぱいになりながら向かった大学院への道。

浅草・蔵前で育った僕には上野の街は本当に近い存在だったのだと思う。
ところで、下の写真は出発前の週末にたまたま見かけたドイツのにんじんのケーキです。
沢山のドイツの子供達が大人になって、それぞれの想い出をほおばる、
ドイツならではの春のお菓子だと思います。

 
写真: 今日から10日間、日本出張。ドイツ・デュッセルドルフから成田への直行便が日曜日に開通しての第2便。  短い滞在だけど、京都の桜はまだ見れるだろうか。友人、知人に会えるだろうか。  さて、まずは上野到着。  ところで、下の写真は、ドイツのにんじんのケーキです。やっぱり、なんとなく春らしい感じです。

 

「30回目の春、ー日一日の桜に想う」

2014年03月19日 | 家族

 「3月20日」

ドイツ中部の小さな村に住む、僕の自宅に咲いた桜の花。
いつの間にか30年が過ぎた。半生を過ごした土地。妻も僕も少し歳をとった。
毎年、春になると家族の写真を撮ってきた。

今は二人でその桜をじっと眺めている。
人生の午後が夕方の景色に変わりゆく時。まだ何十年かはあるかもしれない。
それでもこれからの十年と思う。

そして僕の方が先にゆくようにと思う。かけがえのない人だと思う。
そうでなければ僕はここにいれなかった、いないと思う。

こんなに早く桜が咲いたのはこの春が初めてのことだ。

 


 

「3月16日」

桜咲く春の午後。久し振りのツーショット。

「息子よ、お前は何をしてるんだ?」

「父さん、人生、横から見てるだけじゃ年取るだけだぞ!」

「OK!じゃあ、二人でいこうか?!」

 

 

息子が小さかった頃

大好きだったドラゴンボールのポーズを二人で。

うちの猫も飛び入りで。

家族がいて良かったと思う時。 

 

 

 

「3月27日」

春の桜に哲学する猫。

金魚の数を数えることもなく。
 
 
写真: 春の桜に哲学する猫。  金魚の数を数えることもなく。

 

「3月29日」

出張帰りの平日の午後。
「桜の散る前に、今日のお昼は外で食べましょう。」と
壊れかけの小さな机に白いコットンのクロスをかけ、
パンや果物、昨日の残りのキッシュを温め直して
テーブルセッティングをする妻。

忙しい時にもこのようなことを当たり前に思いつくので
僕は時々びっくりする。
仕事ではついついぶつかってしまうが、日常生活の当たり前、
大切が身についている妻に僕は頭が下がる。

子供達と猫達の絶大なる信頼もここらへんにあると思う。


高田 知行さんの写真



高田 知行さんの写真


「3月11日」 

311日、午後4時。

春がやってきたドイツ。雲ひとつない青空。

午後遅くの柔らかな太陽の光。

僕達が失ったもの。遠くの地を憶う。



ベラルーシを訪ねた後、トルコの原発予定地に向かう
日本の知人に作った朝食。体調を壊していたので
重湯と菜の花を炊いた小鉢、糠漬けのお新香に
小さな梅干しと新ショウガの梅酢漬け。
子供の頃のこと、亡くなった祖母と母のことを想いながら
作る。 


咲き始めの自宅の庭の桜、家族の木。

 

「4月2日、日本出張の一日」

上越新幹線で上野から長岡へ。大きく蛇行する荒川の広い流れを
今、渡ったところ。何処にも緑のない都会人が利便性のみを求めて、
整備をつくしたその河川敷。

春の霞、満開の桜。歌にも謳われたその姿。
過去の面影、今は跡形もなし。迷子になった帰朝者のような僕の
ちぐはぐな心を乗せて、世界に誇る高速列車が大宮、高崎へと向かう。

関東平野が左右に広がる。視界の届く限り、途切れることなく続く高層ビル、
マンション、プレハブ建築、コンクリートの海。
その中に時々、浮かび上がる満開の桜達。僕の眼には、まるで過去からの
亡霊のよう。現代日本。この島国は戦後70年をかけて、本当に世界に
冠たる奇妙な社会を生み出したと思う。高速列車は一直線のレールの上を
前へ前へと走り続ける。

もう、高崎も過ぎた。暫くして長いトンネルを抜けると、突然、越後、雪国の春。
異端の心に映るその山並み、名残の雪。日本、この国に生まれたことへの哀しいほどの
懐かしさ。今日の夜は山里の清らかな水に浸ろうと思う。


 写真: 2014年4月2日。上越新幹線で上野から長岡へ。大きく蛇行する荒川の広い流れを今、渡ったところ。何処にも緑のない都会人が利便性のみを求めて、整備をつくしたその河川敷。  春の霞、満開の桜。歌にも謳われたその姿。過去の面影、今は跡形もなし。  迷子になった帰朝者のような僕のちぐはぐな心を乗せて、世界に誇る高速列車が大宮、高崎へと向かう。  関東平野が左右に広がる。視界の届く限り、途切れることなく続く高層ビル、マンション、プレハブ建築、コンクリートの海。その中に時々、浮かび上がる満開の桜達。僕の眼には、まるで過去からの亡霊のよう。  現代日本。この島国は戦後70年をかけて、本当に世界に冠たる奇妙な社会を生み出したと思う。  高速列車は一直線のレールの上を前へ前へと走り続ける。  もう、高崎も過ぎた。暫くして長いトンネルを抜けると、突然、越後、雪国の春。異端の心に映るその山並み、名残の雪。日本、この国に生まれたことへの哀しいほどの懐かしさ。今日の夜は山里の清らかな水に浸ろうと思う。


「ひとりで、夜中に書き始めること… 」

2014年03月14日 | ドイツの暮らし

遠い遠い時間の、僕が僕になったことにつながる頃。

自分だけを頼りにするしかなかったのに、午後の遅い時間、
夕方の薄暗い闇の中、あるいは真夜中の布団の中で、
一人で読む本の中にしか
自分の居所を見出せなかった、
まだ
10才位の子供だった頃。

そんな頃に、掛け布団の下が自分だけの最高の隠れ家で、
その胸に鼻を押し当てて、子犬のようにその匂いをまさぐっていた、
大好きだった母親の懐を失くしてしまったそんな頃のことだろうか。

僕は当時あまりに小さくて、細い腕の中に上半身を折りたたむようにして
一人で、本当に一人で震えが止まらない様子でじっと座っていた。
そんなことが度々あったのだろうか。
膝を抱えて、誰にも伝えることの出来ない言葉を
探し始めたのも
この頃のことだろうか。

 


「Oさんへの手紙」

2014年03月09日 | ドイツの暮らし

勧められてた佐川光晴さんの「生活の設計」、この前の秋に買って帰り読みました。
人生の活動、仕事での活動、人との交わり
自分がそこでそれぞれに費やす時間、生きる時間。
その中に一つの連続した有意の軸や内的充足を得ることは本当に稀なこと。
あの本と、このOさんの文章を重ね合わせながら読む時に
僕は、「Oさん、終わって良かったね。区切りが必要だったね」と思いました。
存在への感受性が人一倍強い人は人生の選択、在り方自体への問いかけに
押しつぶされそうになることがある。
僕の経験はそうでした。
それは今もあります。
だから内実のある活動を求めて迷うのだと思います。
悪いことではないと思います。
乱文失礼しました。



今日の夕食はJapanese vegetarian

2014年03月06日 | 日本の「食」

ドイツで作る日本のご飯。異国の土地に30年も住みながら、いつも日本の
「食」と向かいあっている。今日の夕食は
Japanese vegetarianだった。

 

まず、温野菜のサラダ、小房に分けて蒸したカリフラワーがメイン。
蒸しあがってまだ暖かいうちに
梅塩を振り、レモン汁を少しかけ、
エクストラバージンのオリーブオイルを全体に行き渡る
ように垂らし、
パッとかき混ぜて置いておく。これで、しっかりと薄味が付いた状態となる。

一方で、細いインゲン、薄く
切ったセロリ、細切りのニンジンを一緒に蒸した後、
薄味の地に梅酢と
レモンと薄口醤油を入れて、さらにほんの少しオリーブオイルを
入れた
ものを洋風の地として、そこにつけておいた。

 


食卓に出す前の仕上げに、やや甘口のベリー系のバルサミコを滴滴と垂らし
多少甘みを補う。
細切りの赤い完熟トマトも少し足して、インゲン、セロリ、ニンジンなども
全部合わせて盛りつける。
食卓に出す前に、淡口醤油、煮切り味醂、ほんの少しの和三盆で調味した
薄味の擦りゴマで少々コクを出し、全体の味を整えた。
 

 


天然真昆布と伊勢の本枯鰹節でしっかりととった出汁に白菜の柔らかい葉と
エリンギを入れたスープ。サヤエンドウは別に蒸しておいて、鮮やかな緑色が
残るように最後に加えた。スープ自体は大久保さんの薄口醤油と純米酒、
塩のみの味付けでうまくまとまった。
 

 


こんにゃくとわけぎを柳川風に甘辛く煮付けて、卵とじにし、最後に庭の
三つ葉を摘んでぱっと散らし、飛騨の山椒をふりかける。


 


オクラと大根おろしと岩海苔の小鉢、これは本当にうまく出来た。

まずオクラはやや固めに蒸して、小口に切る。それを濃口醤油少しと
レモンなどで調整した地に漬け込んで少ししてからしっかりかき混ぜ、
とろみを出す。
小鉢の一番下に敷く大根おろしには再仕込み醤油とレモンをかけておく。
それにほんの少量、七味をふりかける。その上に、オクラの地で戻した
岩のりを二段目としてとしてかぶせておく。最後にやや厚めの小口切りの
オクラをたっぶりと高盛にする。見た目もとてもいい感じだ。妻も見た目も
綺麗で爽やかな味、本当に美味しいと言っていた。

糠漬けはきゅうりと大根と赤ラディッシュの3色。これもよく漬かって
いて
美味しかった。さらに最後の一品はよく熟れたアボカドの刺身、
それにおろしたての
本わさびと奥出雲の生しょうゆ。

ご飯は宮城の斎藤さんの有機無農薬の玄米を家で五分づきに精米。
自然の多重フィルターを通した水でいつものように炊いた。
二杯お代わりしたが、食後も体が軽く、今日はいいご飯だった。

ドイツにいてもこれだけの野菜が手に入って、丹精して作られた
日本の良い調味料とたっぷりの時間をかけてご飯を作れること。
妻と二人で夕食を食べれること。本当にありがたいことだ。

あと数日で福島の東電原発事故、大惨事から三周年。何も収束することなく、
何の解決策も見えない。
原発の鎖に繋がれた日本列島とその社会構造。
どこまでこの国に未来が先が
あるのか、もう誰にも分からない。

僕に出来ることは、そのことをドイツでなるべく分かるように伝えていくこと。
そして毎日、日本の食にたずさわり、家族に周りの人達に作り、話し、広く
書き伝えていくこと。