「白ワインはいかがですか? - あなたも私も大切な一人」

2017年02月23日 | ドイツの暮らし

ドイツ・ミュンヘンへ、飛行機の中のドイツ語会話。

 

「何をお飲みになられますか?」

「では、白ワインを一つ。」

「お水は如何ですか?」

「あっ、それもぜひお願いします。」

「炭酸なし、炭酸あり、どちらで?」

「炭酸ありで。もちろんドイツスタイルで」

「おっ、なかなか上手いですね!」

「いえいえ、ドイツにもう30年あまり住んでますから、、、。
でも、確かにそうですね、
スチュアートさんの人生よりも、僕のほうが長く
ドイツ語を話しているかもしれませんね。」

明らかに40過ぎのスチュアートさん、

「上手いこと言うね。よし、シャンパン一杯!」

「いえいえ、僕はしがないエコノミーですから。」

「確かに! ところで、ご家族は日本で?」

「日本じゃなくて、僕の家族はドイツなんですよ。」

「では、お仕事で?」

「そうそう、今回は仕事一本槍でした。」

「十分成果は出ましたか、、エアフォルクライヒ? 成功でしたか?」

「もちろん!でも、相手方はまた別の考えかもしれませんよ」

「確かに! 人生、分かりませんね。」

「確かに! では、白ワインをもう一杯。」

 

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「Biofach・ビオファ」- ドイツ・ヨーロッパの美味しいお土産

2017年02月18日 | ドイツ・ヨーロッパの「食」

今年初めての日本。関空から京都への移動中。今日から約一週間の滞在です。
今回はドイツ・ニュルンベルクの国際オーガニックフェアでの仕事から、
そのまま直行したので、トランクに美味しいお土産を詰め込んで来ました。

ちょっと書き出してみます。

まずはイタリアから。
南チロルの昔からのサラミ2種類
ピエモンテ州のパルメザンチーズ、
南イタリア・プーリア州の辛口のワイン、白がシャルドネ、
赤がプリミティーボ。ドイツからは、
南西ドイツの小さなワイナリーが作った、赤と白のブドウゼリー。
自然なフルーティな味が素晴らしいジャムやマーマレード。
プラムやベリーのミックスが特に美味しい。
レンズ豆&ジンジャー、カシューナッツ&赤パプリカ、
赤ビーツ等のビーガンのペースト。
スイスからは大人用と子供用のチョコレートココア。

毎年2月にニュルンベルクで開かれるこの「ビオファ」(Biofach)は
世界最大規模のオーガニックフェアだと思います。
各々100m×100m位のスペースで、1号館から8号館まで、ヨーロッパや
世界の各地域から何千の出展者が集まり、オーガニックの食材で埋め尽く
されます。

オーガニックや世界各地の自然な食材に興味がある人なら、ヨーロッパ
一周旅行に行くよりもずっとずっと楽しいですし、各国の食文化の
多彩さやその広がり、そして伝統的な自然な美味しさに感動、
圧倒されるのではないかと思います。

下の写真は知り合いのドイツのワイナリーの
クンツェさんです。確か40ヘクタールの葡萄畑で、年間16万本ほどの
生産量だったと思います。もう、4代、5代、あるいはそれ以上続いている
ワイナリーですが、このシュテファンさんの代からオーガニックに切り替え、
もう30年くらいになっています。二人の息子さんも大きくなり、ドイツの
名門のワイン醸造大学で勉強中、お父さんの若い時と同じように、その後、
フランスやニュージーランドなどで武者修行をした後は、跡を継ぐことが
決まってるそうです。とても嬉しそうでした。

 

一方、僕と肩を組んでいるのは今回知り合った南イタリアのワイナリーの
大将です。赤のブリミティーボがうーんと唸るばかりの感動的な味でした。
写真の僕はもう10本以上も南イタリアの地ワインを試飲した後のことで、
すっかり機嫌よく、昼間から楽しく酒飲み気分です。

なお、ニュルンベルクは第二次世界大戦時までは中世の姿がそのまま
残ったとても美しい街だったそうですが、 終戦直前に非人道的とも
言える徹底的な爆撃を受けた都市です。戦後の歴史的景観の復興に
励みましたがかつての姿は、その面影を偲ぶのみです。
他方、ニュルンベルクの周囲の丘陵地帯、フランケン地方には
500年、600年を経た中世の村や街がそのまま残っているような
ところも少なくありません。 
僕が毎年泊まる、ラオウ・アン ・デア・ペグニッツもそんな
街の一つです。

 

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「二人の出逢いから、30年後の朗読会に思うこと」

2017年02月09日 | 言葉&読書

長年営んできた小さな出版社を閉じ、南ドイツの田舎の街に引っ込んだ
初老の男。今の時代には帽子が似合う顔がもう居ないと手作りの帽子屋を
止めた読書好きな、清楚な50代の女性。

決して運命的な邂合には思えなかった。
それでも出逢ったその夜に、ガレージに入ったままだった昔のスポーツカー
に二人で乗り込み、一時間のつもりのドライブはやがてスイスへの国境を
超え、明け方の北イタリアの海辺を目指し、そして、そのまま車の中で
夜を明かすこと二日間、互いの人生の断片を途切れ途切れに伝えつつ、
南イタリア、シチリアの誰も知らない村、路地奥のホテルにたどり着く。

そこには、ジプシーのような小さな女の子が、二人の運命の糸を握るか
のように待ち受けていた……。

多分、そんなような話なのだろう。

年に何回か、読書好きなウチの奥さんに引っ張られて、ドイツや
オーストリアの現代作家の朗読会にこうやって二人して顔を出す。
外国人の、その上生まれつき音痴の僕はまず半分も聴き取れない。
それが純文学や詩作の会となると尚更だ。全ては想像の世界、
薄闇の世界、意味のつながりを失った音声が僕の耳の横を通り過ぎていく。

今日の話も本当に上記のようなストーリーだったのだろうか?。
僕が聞き取れた一つ一つの言葉、センテンスの間に知らず知らず寝落ちし、
自らの夢の中の幻想とないまぜになった話ではないのか?

そう思って、ウチの奥さんに小さく声をかけるといかにも楽しそうに、
白ワインを片手に無邪気な笑顔をこちらに向けてきた。

もう三十年を越えた二人の会話、僕の日頃の理解も実際はどの程度
出来ているのだろう?

そうそう、思い出した。
僕達が知り合ったのは1980年代の半ば。僕がまだ、遠い日本から
来たドイツ文学専攻の若い留学生の頃だった。セミも鳴かない北国の
初夏の午後のキャンパス。

「読書とは何か?」
僕はドイツの人にとっては自国の国文学、僕にとってはドイツ文学の
セミナーに外国人一人で参加していた。

「読書とは何か?」と問われても、当時の僕は、せいぜいドイツ語の
小学生。当番の学生のレポート発表も、その後の教授のコメントも
理解半分。様々な意見が飛び交うディスカッションの頃には、全ては
ちんぷんかんぷん。
興味も集中力も尽き果てて、窓の外の景色に目をやり始めた時に
飛び込んで来たのが、ウチの奥さんの若き姿だった。

振り返れば、ドイツに来て35年、二人の出逢いから30年余り。
ウチの奥さんが、今でもこうして、ドイツ語の文学朗読会に僕を
引っ張っていくのは、もしかすると、
「初心忘るべからず」、「決して運命的な邂合ではなかったのよ」
の暗喩なのかもしれない。

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「2017年2月 - オーマの90歳を祝って」

2017年02月07日 | ドイツの暮らし

昨日の日曜日は僕のドイツの義理の母、子供達三人の世界一の
オーマ、ウチの奥さんのお母さんの90歳のお祝いでした。

1927年生まれ、ドイツの戦前戦後史を自ら生きてきた義理の母の
一生を、外国人の僕が実感を持って語ることはとても出来ないこと。

それでも長男と次男が、ドイツの母の昔のアルバムを整理・編集
して作ったデジタルスライドから、数枚の写真をここに記録、
掲載しておこうと思いました。

ワイマール時代、一歳児の頃の家族写真、戦後の独身の若い頃、
早世したハンガリー系ドイツ人の伴侶との想い出の写真、そして、
今、90歳のお祝いの日の笑顔。

夜間看護婦をしながら、うちの奥さんを女手一つで育て、人に
語らぬ苦労も、言葉に出来ない辛酸の想いもいろいろあったと思う。
それでも人生90年を常に優しい笑顔を絶やさずに生きてきた人の
姿がここにある。
僕はそのことを僕の家族の小さな大切な記録として、ここに
記しておこうと思う。
そして、僕の生まれながらの言葉、日本語で僕の日本の友人や
知人に、このドイツの母のことを少し伝えておきたいと思う。

自分の娘を常に信頼し決して叱らず、その自由な若い人生を
認め、僕達の同居生活にも結婚生活にも一度も口出しをせず、
必要な支援だけはして、孫達には包み込むような愛情で
常に朗らかに接し、求めるところは少なく、与えるもの多く、
80歳の時の最初で最後の日本旅行を僕達家族と満喫し、88歳
まで独立独歩の人生を歩んだ人。
柔和な性格の中で、妻とともに1980年代から自分の一票は
常に緑の党に投じてそれを当たり前としてきた人。

孫達三人と娘への愛情、そして仔猫への愛着が飛び抜けた人。
まだまだ元気でいてくれますように。

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冬の日のいろいろサラダ

2017年01月28日 | 毎日の食卓

昔、今日はサラダ記念日って詩があったっけ。

まだまだ、寒い日が続くのだろうか?。
お皿の上だけでも、春よ来いと思っての、色々サラダ。

でも、なんかやっぱり、春の花のような明るさはないなぁ…。

春よ来い!

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冬の日のメモ - 「無理をしないこと」

2017年01月21日 | ドイツの暮らし

【1月17日】

色とりどりの花のような、小さな子供達。

昼御飯の後、午後の仕事の前に近くの広場に散歩に出たら、
たまたま出会った風景。

良いなぁ、僕も今日はなるべく早く仕事を終えて、村のプールに
泳ぎに行こう。その後はゆっくりと料理のノートを書き始めよう。

子供たちの笑い声。自分の足腰の動きのぎこちなさ。50代も半ばを過ぎて、
人の人生の長さ、短かさがだんだん分かるようになった。
この歳だからこその今。

………………………………………………………………………………………………

【1月19日】

今、ドイツはお昼の時間。

今日はもう朝から春のような青空、野に畑に輝くような光が拡がる。
僕の少し年老いた頭の皮にも、マフラーを巻いた首元にも陽光の
明るさ、暖かさ。

あぁ、本当に良い天気だ。
自宅から農園カフェへの道、僕の心も広がる土、緑、空、光。

………………………………………………………………………………………………

【1月21日】

今日は良い天気。
自宅から歩いて約5分、週に数回はこのプールに来る。

ひとりになって考える、運動をする。
頭と体がひとつになると、自分の中の見通しが良くなる。
以前書いた文章、『無理をしないこと』という文章を思い出す。
まだ、福島の東電原発事故の前のことだ。

事大主義と事なかれ主義、変な愛国主義、意味のない島国根性、
これら全て、本来全く「理の無い」話、理性に支えられた
ロジックでは一切無い。
福島の事故の後、この6年間でその傾向はいよいよ強まり、
日本の社会の硬直性は明らかに危険な領域に入り込んでいる。

「無理をしない」ということは、日頃の生活の中で、
気持ちの余裕と時間の余裕があること。そして、「理の無い」
ことをしないこと。 

日本の戦後70年は、個人の生活でも、社会・経済の活動でも
その「無理」を重ねてきた歴史、その帰結が今の時代相なのだろう。

日頃から「無理をしない」ということを肝に念じよう。

………………………………………………………………………………………………

2010年秋、
今日は本当に久し振りの「ひとり水泳部」
泳ぐよりもブールサイドに寝っ転がって、大きな伸びをしたり、
日向ぼっこをしたりホンワリしている。
秋の陽射しも心地よい。

僕のコーチは、「明日のジョー」より「バカボンのパパ」 
無理をしない。

そして、ここ最近読んだ2つのことを思い出す。

@minorikitahara「国益」って言葉を使って話す人に、
あんたは大臣か! と笑ったところ口論になる。 
バカにした訳じゃないよ、ほんとに冗談だと思ったんだよ! …
私にとって「国益」なんてものがあるとしたら、
ご近所どうし仲良くね! だけだな。一人一国益よん。
(まさにその通り)

@footballanalist ドルトムント戦を見る。ただゲームを殺す力が
まだないのは、チームが香川が全能の神として君臨するときを
待っているから。…
(これはドイツでは誰も考えなかったことだ!客観性も根拠も
全く無いが実にユニークな発想。)

上記双方、どちらも気軽に書いた言葉だろう。でも両者の間には大きな、
圧倒的な開きがある。一方は少し神がかり、変な愛国主義、意味の無い
島国根性。男性論理が転がって行く。

他方は実にすっきり自然体。
女性の、ひとの当たり前のこと。

事大主義と事なかれ主義、どちらも
あまり好きではありません。

無理をしない。
それは理の無いことをしないこと。

 
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「21世紀の和食かな ? - 固有と普遍の間で」

2017年01月04日 | 日本の「食」

次男と末娘に手伝ってもらって、夕食の準備中。
末娘に「今日の糠漬けは大根、長芋、キュウリ、人参、セロリ、
どのお新香も切って、盛り付けて置いてね。」と言ったら、
こんな感じになりました。 

娘の美弥のお新香の盛り付け方は本当にユニークです。
それに気がついたのは、約一年半前、「パパ、これどう思う ?」
と嬉しそうに自分で盛り付けたお皿  (下の写真)
を持って来たときのことです。びっくりするとともに
思わず吹き出しました。

こちらは次男の健。やはり一年半前のお新香の盛り付けです。

次男の健と末の娘の美弥、とても仲のいい二人ですが、お新香の
盛り付け方を見ると各人の個性の違いが実にはっきりと表れていて、
面白いものです。
そして、どちらも日本で生まれ育った僕ではまず思いつかなかった
盛り付けです。

さて、今日の夕飯の小鉢は、昔からの白和えをアレンジした我が家の
定番、「豆腐&練り胡麻・白味噌ソースのいろいろ野菜の和え物」でした。
今回はその豆腐ソースに赤ビーツのピュレーも少し加えました。
ちょっとピンクレディーな小鉢になりました。

こうして並べてみると、ピカソや印象派の絵画のような
カラフルな我が家の今日のご飯。

これも21世紀の和食かな⁉︎

『食』も文化の表現。いつかは国境や慣習を超えて、それでも
歴史と個人、普遍と固有の間で行ったり来たりするブーメラン、
ブランコのようなことかと思います。

個人の「独創」と言えども、一人の命が突然生まれてくることが
ないのと同じように、常に歴史と文化の大きな枠の中で成される、
個々の表現。だからこそ「捉われること」と「捉われないこと」の
間に色々な感動があるのだと思います。

固有と普遍の関係は、何百億、何千億の雨の一粒、一粒が一つの
大河になるようなことかもしれません。

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新年の雪、清々しい空。

2017年01月02日 | ドイツの暮らし

今日は新年初めての、清々しい空、雪の朝でした。太陽が輝き、
静かな風が吹いてきます。

日本の友人、知人の方々、明けましておめでとうございます。
これまでの道を振り返り、新たな一歩を、勇気を持ち、常に愉しい
心持ちで、穏やかに踏み出せますように!

各々に良い目標と良いプロセスでありますように。

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「クリスマスの後の一日、美術館にて」

2016年12月28日 | ドイツの暮らし

クリスマスの後、久し振りにデユッセルドルフの街に出て、美術館に
足を運びました。
西洋の絵画史を中世から今日まで、「カーテンの背後、隠蔽と
露出の間で」をテーマとして振り返る特別展示会でした。

僕はこの美術館の中央の吹抜け、天井まで一気に立ち上がる
大胆な空間構成がとても素敵だと思いました。

そして、人生を一芸にかけた様々な画家達が何百年に渡って遺した作品を
見ながら、そこに現れた人間の達成の素晴らしさと同時に、
全ての生の儚さを、まさにその両方を目の前にした気持ちです。

この世の儚さと素晴らしさをもっと大切にしよう。
一回限りの人生なのだから。
今日の午後は、一人で村のプールに行っていた時から家族と美術館の中に
いる時まで、ずっとそんなことをはっきりと感じ取れる貴重な時間でした。

それで、こんなこともあらためてメモしておきました。

毎日、人生の旅に出るように生きよう。

毎日が心平らかに充足していること。その日一日の時間に満足して
いること。その日にしたことが自分の心にそったことであること。
そして、好きなことを、自分の心に大切なことを続けていくこと。
何かを達成できるかは実に相対的なこと、その目的も、内容も、
質的レベルも、歴史の無常の中で全て相対的なこと。

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「クリスマスの日曜日、外はとても静か」

2016年12月26日 | ドイツの暮らし

今日はクリスマスの日曜日、外はとても静か。
しーんとしている。家の中では、昔からのドイツのクリスマスの歌が
静かに流れている。

この二日間、いろいろなことが頭を巡る。家族のこと、自分のこと、
日本のこと、友達のこと、これからのこと、、、

クリスマスの樅の木。今年も友人のオーガニック農園から23日に
運ばれて来て、昨日、飾り付けをした。これから新年まで2週間くらい
は居間に鎮座している。それは常に家族が集まるところでもある。

東西の文化の表現の違いはあれど、日本で昔、お正月を祝ったことと、
人の心はほぼ同じだろう。

日本ではなんで、自分たちになんの関係も歴史もないクリスマスを
あんな風に不思議な形で祝うのだろうか?

今、日本ではコンビニでおせちを注文し、元旦からデパートや商店が
店を開けているという。

もう、何十年も日本の正月を経験したことがないけれど、
それが本当だとしたら、僕が子供の頃のあの日本の正月は、
何もかもが静かで、子供心にも何か身が引き締まるような、
清い気持ちの元旦の朝はどこに行ってしまったのだろうか? 

 

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(補足)

クリスマスの2・3日前に、友人の農園から樅の木が運ばれてきます。 
長男より3学年くらい下で、同じ学校に通っていた友人の三男も
すっかり大きくなり、高校を卒業した。
年末の忙しい中、家業を手伝って樅の木の配達係をしている。
赤ん坊や幼稚園頃から知っている近所の子供達が皆、このように
しっかりした若者になってきている。 

 

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『今日はクリスマスイブ − ケストナーの「飛ぶ教室」と家族の風景』

2016年12月25日 | ドイツの暮らし

昨日のクリスマスイブ、僕達の小さな家族の風景。

ドイツの戦前の文筆家、ワイマール時代の社会世相を辛辣に突き刺す
風刺に始まり、ベルリンの頽廃的黄金時代の雰囲気を軽やかに
映し出す粋なシャンソンも何本も作詞したエーリッヒ・ケストナー。
社会への厳しい眼と人情味兼ね備え、ヒューマニスティックかつ
アイロニカルな精神に自ら潰れそうになっていた骨の芯からの
文学者だったエーリッヒ・ケストナー。彼だからこそ、
書くことの出来たドイツ児童文学の傑作、『飛ぶ教室」、日本でも
子供の頃の愛読書の一つだった方も少なくないかと思います。

戦前のドイツのギムナジウム、旧制高校の寄宿舎生活の生き生きした
描写と共に、昔からクリスマスの行事がどれほどドイツの人達に
大切なものだったのか、家族のつながりの結節点だったのかが
切々と伝わってきます。その精神の底流は、それから世界史上の
大きな戦争を幾つか経てもう80年以上も経った今も変わらず、
現代ドイツ人の暮らしの中に根付いているように思います。

さて、2016年12月24日の晩。

僕達夫婦の、ふだんは外で勉強している三人のすっかり大人ぽくなった、
独り立ちしてきた子供達も年末年始ということで実家に戻り、
来年2月には90歳を祝う皆の「オーマ」も今日は認知症もどこ吹く風、
元気溌剌、それはそれは愉しい、幸せな家族一同揃っての晩となりました。

一方でこんな時、僕はドイツでの生活がもう35年になろうとしているのに、
心の中はやっぱり家族の中で一人、ドイツの外で生まれ育った
外国人かなとも多少思います。

そんな背景もあるのか、もともと鈍感なのか、あるいはその両方なのか、
ともかく幼少期、思春期を母子家庭の長女として寂しく過ごすことも
あった妻が、自ら母親となって準備する家族のクリスマスに秘めた
深い想いが、どうしても肌感覚でしっかり感じ取れず、互いにバタバタ
したり、すれ違ったりして、各々哀しい思いをすることも少しあります。

それでも、今日はクリスマスイブ、妻が腕をふるった特別な夕食。

家族の宴たけなわ。僕達としては珍しいしっかりと伝統的なドイツの
ご馳走を楽しんだ後は、家族の贈り物の時間。

長男からは2015年、16年の二人の日本旅行、自転車の旅の
自作写真アルバム、次男からは日本の映画のDVD二本、
末娘からはビーガンの料理本とエスプレッソマシーン、
妻からは上質のセーター、義母からはベジタリアンの分厚い本格的な料理本、
そして其々に心のこもった手紙が付いていました。
父子家庭で育ち、その父親を一度も尊敬することなく、家に居ないこと
を常に福としていた自分には
「父さん、大好き.いつも有難う。いろんな時に自分の手本だよ!」
などと書かれると、心の中は涙ボロボロとなるのです。
子供達三人がここまで真っ直ぐに育ったのは本当に妻の広く
優しい心根のおかげだなあとつくづく有り難く思う瞬間です。

僕は日本の私小説はあまり好きではありませんが、今日はクリスマス、
ケストナーさんの『飛ぶ教室」を思い出しつつ、倖せなことは倖せとして、
自分のためにも、家族のためにも、こんな気持ちをしっかり
書き留めておこうと思いました。

ちょっと照れ臭い文章となりました。でも、ドイツ、そして多分、
ヨーロッパの他の国々でもクリスマスは本当に家族の幸せを祈るお祝いで、
サンタクロースや忘年会のメリークリスマスの帽子や、
苺のショートケーキとは全く関係のない大切なことなんだということも、
日本の友人や知人に少しでも伝えたいと思ったのでした。

 

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不思議の国の素敵な人達 - 日本の3つのシュトレン

2016年12月20日 | 日本の「旅」

ドイツの朝、7時40分。
日本から戻って3日目の朝。外はまだ暗い。朝星が一つ、二つ。

今回の日本の旅、クリスマス前のドイツからの帰朝者を不憫に思ったのか、
その3週間の間に、30代、40代、50代の各々に魅力的な日本の女性3人
から、シュトレン(Stollen)のお土産を戴いた。そのうえ、京都の大好きな
人からも帰る前の日に、古い町屋の客間で床の間の紅い南天を観ながら、
多分手作りのさっぱりしたシュトレンをご馳走になった。

なお、日本では一般にシュトーレンと呼ばれているようですが、
ドイツ語の本来の発音は短く、シュトレン(Stollen)です。

シュトレンの由来や背景については、以下の説明が簡潔で
わかりやすいと思います。
http://www.newsdigest.de/newsde/features/812-stollen.html

こんなシュトレン3つを全部家に持って帰ったら、旅のトランクを開けた
ドイツの妻は変な人、変な国と言って訝り、呆れていた。

日本に暮らしていた若い時、バレンタインデーにチョコレートを貰った
記憶など一度もないのに、これは一体どうしたことだろう?

僕がこの30年、40年でよっぽど魅力的になったのか?
それとも、日本がその間にさらに不思議な国になったのか?
そんなことを思いながら、3つのうちの1つのシュトレンを
オールドジャーマンというゾーリンゲンの卓上ナイフで切って、
オーガニックの無塩バターをたっぷりつけて食べたら、とても美味しかった。

今回の旅で出会ったいろいろな人達の顔が、思い出が浮かび上がってきた。
(ハリーナさん、パンドラデイさん、美味しいシュトレンどうも有難う。)

さあ、朝星もすっかり消えた。一日の始まりだ。
まずは村のプールに泳ぎに行こう。クリスマスも間近だ。
ドイツのシュトレンは、今年まだ一つも口にしていない。

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冬の長い旅 - 戻る場所があり、帰るところがあること。

2016年12月17日 | 随想

4週間の日本の旅も終わり。関空に向かう朝。
会えた友達もいれば、会えなかった友達もいる。

僕はいつも「日本に、京都に戻る」と自然に思うけど、それでも
『ドイツに帰る』と言う。かって見ず知らずだった遠い国、そこ
には自分がつくった家族がいる。

戻る場所があり、帰るところがあること。二つの場所は大きく異なり、
その日常は重なり合わない。ひとつ同じことは、どちらにも大切な人
達がいることだ。そこで僕は一人ではない。

幼い時に肉親と死に別れ、孤独を与えられた者には、一生その影が
つきまとうだろう。胸の中の寂寥は取り除くことはできない。

友人、知人、人々との一回、一回の出逢いを名残り惜しむように、
大切に。
家族との日常も一日、一日とかけがいのない時間の積み重ね。

人生の4分の3あたり。今年の秋は二つの国で沢山の紅葉を見た。

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冬の旅 - 「あぁ、京都に戻ってきたね。」

2016年12月09日 | 日本の「旅」

「あぁ、京都に戻ってきたね。」
川端三条、京阪の降り口で大きな旅行トランクを横に、ホッとする次男
と二人。

先週の日曜夜、八条口からから夜行バスで出発し、
新潟三条、越後湯沢、長岡、東京浅草、松本美ヶ原、大阪西天満、堺と
毎日移動する、包丁、醤油、食をテーマとした駆け足の仕事の旅。

そうそう、少し温泉もあったかな⁈ 

僕の仕事の話では同席しても分からないばかりで退屈なことも多かった
けれども、日独ミックス、ドイツ育ちの次男、彼にとっての、二つの国
とのこれからの関わりには良かったと思う。
旅費も宿泊費も相当の出費だったけど、これから大人になっていく次男
と良いことだったと思う。去年は長男とも似たように日本を回ることが
出来た。有難いことだ。

人生は旅、「旅は道連れ、世は情け」
これは親子の間、父と息子達との間にも当てはまることだ。同じ時間は
二度とは戻って来ないのだから。


 

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冬の旅 - 浅草の街も今は薄闇の中

2016年12月07日 | 日本の「旅」

京都から日本の各地を巡る、次男と二人の冬の旅。
新潟三条で刃物の仕事を終えて、昨日は霙交じりの越後湯沢、そして
長岡の知人と再会を祝い、夜遅く最終の列車。
かって自分が生まれ育った東京浅草の町へ。

夜中に二人で散歩。人通りがすっかり絶え、しーんと静まりかえった
仲見世の中を抜け、亡き母の実家の傍を通り、子供の頃、夕飯の後に
いつも遊んでいた雷門の前ですっかり大きくなった息子と二人、夜の
記念写真。

そして翌朝、24階のホテルから望むスカイツリー、極東の島国に屹立
するバベルの塔から見下ろされた観音様。僕は言葉もなく、カメラの
シャッターを押し続ける。
 

この風景の中に僕のふるさとはもう一片もない。あるのは過去の記憶
の片割れにすぎない。その一つ一つの破片を辿るように、小学生の頃
の自分の通学路、遊び場だった観音裏の弁天山から仲見世の裏通りを
経て、松屋へ、新仲見世から浅草六区を経て二人でホテルに戻る。

「父さんは此処にはとても住めないな、どうやっても生きていける
場所ではないな」と言う父親のあらたまった言葉に、「何を今さら
当たり前の、当然のことを」とごくごく普通に首肯く22歳の息子。
僕もそれで良いと心の底から思う。確かにこの子達をこの化け物の
ようになってしまった、この東京で育てたいとは一度も思ったこと
はなかった。

僕の人生に決定的だった亡き母の面影も、かっての浅草の街も今は
薄闇の中。消え行く糸の先をたどるように、僕の追憶の中で綴られ
ていくのみだとあらためて思う。

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