30坪+20坪の菜園

BIG FARMの農事日誌です。

「アルプ」の特集号とアンソロジー

2007-01-30 | 閑話

一昨日と昨日、書いてきた山の雑誌「アルプ」。
「ずいぶん興奮しているんじゃないか、BIG FARM」
「そうなんだ。意外な出会い
には驚いたよ」
中 身にはまだ目を通していない。目次と特集号の題名をざっと見ただけだ。私の好きな「辻まこと」の名前を見つけた。同氏の作品を多くを読んでいる。「アル プ」に同氏の作品は何篇あるのだろうか。再読が楽しみだね。特集号は少し束が厚い。どれから読もうか。わくわくする。私も山への思いを、このタイトルで書いてみようかという題名ばかりが並んでいる。

□特集号の題名
牧場(45号)、山小屋(50号)、岩(54号)、峠(69号)、夜(79号)、山 の博物誌(85号)、谷(91号)、森(98号)、道〈105号〉、高原(111号)、山村(129号)、朝(120号・10周年記念特集)、山と私 (100号)、山で会った人(116号)、小さな山(136号)、道具(141号)、湖(147号)、憧れ(150号)、山の仲間(157号)、深田久弥 遺稿増大号(159号)、アルプ教室(162・170号・176号)、山小屋(165号)、雨(172号)、頂き(177号)、風(184号)、尾崎喜八 (196号)、忘れ得ぬ山(200号)

□「アルプ」を概観する手っ取り早い方法がある。池内紀さんが「アルプ」からのアンソロジーを2冊出している。2003年に「ちいさな桃源郷」、続いて2005年に「山の仲間たち」。いずれも31篇を選び、幻戯書房から刊行されている。

□その「ちいさな桃源郷」で池内さんが「アルプ」について書いている。「アルプ」の解説は多々あるが私はこれが好きだ。

アルプのこと   池内 紀

昭 和33年(1958)3月、一つの雑誌が創刊された。並外れて美しく、並外れて高価な雑誌だった。終刊は昭和58年(1983)2月。まる25年にわたり 300号を数えた。 誌名は「アルプ」。その名前からもわかるように山の雑誌だった。少なくとも山の雑誌としてはじまった。発行所は創文社。創刊号は全 68頁。定価80円。 昭和33年当時の80円が、どれほどの価格であったか。そのころ、東京の日常の乗り物だった都電が13円。2年前にすったもんだの 末、10円から13円に値上げされたばかりだった。

300号を通して、装丁はほとんど変わらなかった。表紙は緑がかった水色。フランス語で、「ヴエール・ドー」とよばれる色だろう。漉きのスジが横 にうっすらと入っている。そこに黒、あるいは濃いべージュで「アルプ」のタイトル文字。本文はクリームがかった高級紙。原色版の挿画が一点。ほかにモノク ロ写真、多くのカットがついた。 山の雑誌だが、山の案内はしない。コース紹介、技術や用具をめぐる実用記事といったものもまるでなし。広告は一切のせな い。

そんな雑誌が300号つづいた。わが国のジャーナリズムにあって、とびきり大胆で、きわめて珍しいケースだったのではあるまいか。ふつう雑誌は何であれ、 にぎにぎしく騒ぎ立て、読者にウインクし、新味をちらつかせ、情報で脅しつける。そんななかで、ひとり「アルプ」は終始つましく、ひっそりとしていた。み ずからの孤独を言いきかせるように、表紙の絵も沈んだ中間色におさえてあった。雑誌そのものがあまりにそれ自体で完成されていたので、すぺてが「アルプ」 自身のなかに封じこめられ、思い返すとき、さながら白昼夢のような気がする人もいるのではなかろうか。

写真上=特集号の山小屋(50号)と峠(69号)
写真下=特集号では一番部厚い「尾崎喜八」(196号)。「アルプ」の名付け親である

つづく 

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