
先に紹介した不思議な荒廃の姿を見せていた光明寺
その光明寺と山稜の反対側のような位置に
荒廃から不思議な繁栄を見せている寺院があります
鏑射寺(かぶらいじ)というお寺です
まず一番目立つところから話を進めると
境内の入口あたりから
朱色の鮮やかな三重塔が見えています

総檜造の三重塔は昭和四十八年に建立された
まだまだ新しいものなのです

この寺の創建は光明寺同様に聖徳太子にちなみます
この地で鏑射寺のあるこの山は古来神体山として
土地の人たちの信仰の対象であったようで
聖徳太子は生母の故郷の地であるこの地にある
山に仏教の道場を建てようと発願されたのだとか
その際に鏑矢を奉納されたことにより
鏑射寺と名づけられ
神体山も鏑射山と呼ばれるようになったようです

この寺が繁栄を見せていたことの証として
弘法大師空海もこの地に足を運んだ跡があり
西国三十三観音霊場中興の祖である
花山法皇も参詣されて歌を詠まれておられ
鎌倉執権であった北条時頼も参詣し
太閤秀吉も三度の参詣を行なっているというのです

それでも南北朝の時代の兵火や
江戸時代になっての不幸な山火事で幾度か焼失もしています
歴史的に最後に再建されたのは
文久年間に勇阿という上人が再建したということです
名前からすると時宗系の上人なのでしょうか…

ところが明治六年に三田九鬼藩の中に
天誅組として各地の神社仏閣を破壊するという集団が現れて
この鏑射寺も焼かれてしまい為すすべもなく廃寺となっていきました

そして昭和三十年
久邇宮朝融王殿下が廃寺となってしまった
鏑射寺を目指して道なき道を山を攀じ登られて
この地を御参詣になられ
歴史的な寺院である鏑射寺の再建を願われたのだそうです

そして昭和三十四年から再建準備が始まり
昭和四十一年に最初の御堂
そして平成四年になってようやくこの本堂が落慶されました

巨大な本堂です

こちらが昭和四十一年最初に再建された護摩堂

この山内ではそれでももっとも古いということになり
それなりの風格を見せています
まだ四十数年しか時代を経ていないわけですが…

龍の彫り物も力強いものです

寺域のある山稜は剥き出しの岩があちこちにあります

自然の庭の風情をうまく活かしているようです

境内には西国三十三観音霊場と四国八十八ヶ所の写し霊場

これらは文久年間の勇阿上人による再建の頃のものだそうです


龕に嵌め込まれたタイプのものもあります

きりっとした表情なんですね

元来は八十八ヶ所は御本尊を御大師さんを並べていたのでしょうね
でも今は御大師さんだけを集めて並べてあるのですが

この一体だけが金属製でその涼やかさが印象的でした

境内はかなり広大でものすごく現代風に整備が進んでいます
庭にはそこそこ大きな池があってたくさんの錦鯉
そして二輪だけ睡蓮が咲いていたのでそれを撮ろうと思ったら
ものすごい勢いでその錦鯉たちが寄ってきまして

睡蓮の周りをぐるぐる廻り出しました
まるで普段から訓練されているみたいですね
餌が欲しかったのかな…(^ ^;





山に登るときは気が付かなかったのですが
帰りがけに山を下るときに目の前が
ぱっと開けたなと思った時にその視線の先に
かなりの断崖があって
そこに…

張り付いていますね〜


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傷つけてしまったように思います。
金属の仏様、穏やかでまろやかで自然に手が合わさります。
鯉って何故、常に腹ペコなんでしょうね〜
池を眺めていてふと気付くと足元でパクパク群れてると
魚ギョッとします^^;
装飾花のないコアジサイというのも清楚で良い者ですね。
クライマーはヘルメットを被ってませんね…大丈夫なのかなぁ
廃仏毀釈は
仏教を崩壊させただけでなく
神道をも崩壊させてしまいました
形だけでなく
心もいっぱい傷付けてしまって
何がしたかったのか
とうとうよくわからない始末でしたね
鯉ってすごいですよねぇ
あの口はなんでも吸い込んでしまいそう
ちょっと(かなり?)滑稽だし
コアジサイは遠目に見ると
雨煙のようにも見えるんですよね
もやもやっと淡い灰青色で
なんとも妖しい美しさです
クライマーさん
命綱だけしかしていなさそうです…(^ ^;
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