伊勢崎市議会議員 多田稔(ただ みのる)の明日へのブログ

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アロハシャツ

2010-09-16 20:40:09 | Weblog
伊勢崎銘仙との関係で
アロハシャツの起源を調べています。

専門書などを注文しました。
インターネットでこのような
ページ
を発見しました。

アロハシャツの起源には諸説ありますが、
このホームページの「アロハシャツの起源」では
次のように書かれています。

 1978年3月7日の『The Atlanta Journal and Constitution』に
 チャン氏の言葉として次のように掲載しています。
 「1932年、地元の人間が着られて、旅行客は土産に出来るような
 カラフルで特別なシャツを作ろうと思いついた。
 当時、信頼出来るハワイ産の布地が無かったので、
 華やかで派手な日本のキモノ布地を購入した。
 シャツのデザインをし、2ダースほどの半袖シャツを
 仕立屋につくらせ「ハワイアン・シャツ」という看板を置いて
 商品をショーウィンドウに飾った。
 とても良く売れましたよ・・・」。
 1987年10月6日の『Honolulu Advertiser』紙の記事も
 ほぼ同じ内容を伝えている。

チャン氏の言葉によれば、
1934年に日本の着物の生地で
シャツを作っています。
これは、昭和9年です。

日絹月報第27回では、
伊勢崎銘仙について次のように
記述しています。

 明治21年には伊勢崎太織を伊勢崎銘仙と呼称した。
 明治に入ってからは、括り絣、板締絣、解模様絣、
 緯総絣、併用絣と多彩な美しい絣技法を研究し
 取り入れ伊勢崎産地は正に絣の宝庫となった。
 伊勢崎銘仙は昭和4年には昭和恐慌にもかかわらず
 年間生産高ではピークの456万反に達し広く
 大衆に受け入れられた。
 明治・大正・昭和と多くの女性に愛された
 伊勢崎銘仙だが昭和30年代後半からウール絣が
 主力製品となり、昭和50年には伊勢崎絣が
 伝統的工芸品に指定され、
 伊勢崎銘仙は姿を消していった。

この記事によれば、
伊勢崎銘仙は、明治・大正・昭和と
幅広く愛され、特に昭和4年がピークだったようです。

チャン氏は昭和9年に日本の着物生地を使い
アロハシャツを作ったので、
そのころハワイで入手できた生地が
伊勢崎銘仙であったと断定はできませんが、
可能性はあります。

伊勢崎銘仙が大流行していた当時、
日本においては、ほかの産地の生地は
どれくらい売れていたのか?
伊勢崎銘仙のシェアは?

日本からハワイへの移民は
明治から始まっていますが、
昭和のころは、どの程度継続されていたのか?

アロハシャツと日本の関係について調べている中で、
ハワイ国王から、日本政府へ
連邦を組もうと申し出があった話
や、
そのため当時東京にハワイ王国公使が駐在し、
群馬県の伊香保温泉にはその別邸も現存していることも
わかりました。

意外と群馬県とハワイは
関係が深かったのですね。

こうなったら、伊香保温泉で毎年開かれる
ハワイアンフェスティバルに、
伊勢崎銘仙製の、アロハシャツを作って
売りに行かなくては!
ジャンル:
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キーワード
伊香保温泉 ハワイ王国 ハワイ国王 伝統的工芸品 1932年
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ハワイへラブコール (夢遊人)
2010-09-20 18:02:28
夢遊人(ハワイへラブコール):アロハシャツと伊勢崎銘仙の関係も、市議の探求経過を拝見すると本当に広くて深い内容がありそうです。これは、産業史、文化交流等の切り口から大学生の研究課題にもなり面白そうです。市内、県内の学生さん手をあげて下さいと言いたいくらいです。しかし、調査・研究は結果が出るまで時間が掛かりそうです。そこで、逆転の発想で、伊勢崎からハワイへラブコールを送ったらどうですか。ハワイの産業は観光業が総収入の4分の1、その他が農業、水産業等々のようです。ハワイ州観光局が観光を含め諸々のハワイ州の日本での窓口になっているようです(http://gohawaii.jp/)。ハワイ州のホームページによると、福岡、沖縄、広島、愛媛がハワイとの友好県になっています。群馬が友好県になるとすると火山・温泉が共通のキーワードで、海のありなしが補足的なキーワード。ハワイ州の中の各郡と姉妹都市になっている市もかなりあります。ハワイで最初にアロハシャツを作って販売したと言うシャツメーカーMUSASHIYAを起こした人も沖縄移民の人らしいので、そういう移民等の関係が友好都市になる理由の一つかも知れません。不思議にも、理由は分かりませんが群馬県では渋川市が友好都市になっています。ともかくGIVE&TAKEの関係が築ければ伊勢崎も友好都市になるチャンスはあると思います。ハワイは成長を維持するためにイノベーションを求めています。将来その核となるのは青少年なので、ハワイと伊勢崎の交流の手始めに青少年使節団を送るのはどうでしょうか。手みやげは伊勢崎銘仙で決まり!交流が進めばこの先の話題が続々と続きます。伊勢崎市としてはハワイの観光産業を学べば大いに勉強になると思います。詳細は以下のハワイ州WEBを参照(http://hawaii.gov/dbedt/oia/voia-sister-states)。
コメントありがとうございます (多田@伊勢崎市議)
2010-09-20 22:48:49
夢遊人さん、
コメントありがとうございます。
アロハシャツと伊勢崎銘仙あるいは、
日本人移民との関係は奥が深く、
研究には時間がかかるように思います。

交流や関係作りのためには、
姉妹都市も有効な手段の一つだと思います。

すでに伊勢崎市は、日本一の暑さであり、
来年には、ぐんまDCという
大観光キャンペーンも行われます。

研究の結果を待っていては間に合いません。
調べる作業と同時に、具体的な行動を
起こしていくべきだと私も考えます。

ただし、姉妹都市や友好都市は、
協定を締結して、代表団が税金で旅行して終わり、
あるいは、代表の青少年が行き来して終わり、
という形では、
成果が定着しないと思います。

具体的なねらいやコンセプトを立て、
ハワイ文化の何をどのように伊勢崎市に取り入れるのか、
そして、ハワイには何を与えられるのか、
そのフレームをしっかりと固めてからの
交流が望ましいと思います。


渋川とハワイ (夢遊人)
2010-09-21 06:50:19
(夢遊人)追加コメント:渋川市の交流例が以下のサイトにありました。例のハワイ国公使邸の史跡保存という縁が関係するようです。交流の中心は学生のようです。
http://www.city.shibukawa.gunma.jp/shisei/kouryuukatsudou/shimaitoshi/hawaii.html
ハワイも伊勢崎も外国人が多く、多文化共生という切り口もあるかもしれません。相手に何を与える事ができるかというのは重い課題です。
「銘仙『売り出す』伊勢崎市」はぐんまDCでも可能と思います。ともかく、伊勢崎をもっと元気にするために、みんなでアイデアを出しましょう。

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