秘境という名の山村から&道後湯の町暮らし

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)の山村暮らし&湯の町暮らし

湯の町暮らしに 春まつり最終日は細やかな雨に風情のトサミズキの花

2017年03月21日 | Weblog


雨である、しとしと、細やかな、暖かい春の雨である、庭に出てじっと雨を眺めていて
トサミズキの花がしずくを湛えてきれいである

ことしになって天気の良い日は用事がないかぎる朝のうちに歩くことにして
瀬戸風峠のみならず向かいの里山三山を歩きつめたおかげで、ここ2年ほど足腰の筋力が衰えていたのが
少しではあるが衰えをくい止められたように感じている、歩くことが人生そのものとよく似ていると思うようになった

歩くという行為は1秒、1分、1時間という時間そのものの経過を身体中で体感出来ていると感じているからかも知れない
普段の生活のなかではなかなか時間そのものを意識することは滅多にないからであろう
この世のなかで時間ほど確かなものはない、この不可思議な、どうしようもない流れは止めようもない
最後には恐ろしい時間に変貌して、生きているひとにいのちの終わりを告げるからである

ひとにとって時間は等しく平等である、権力者も、金持ちも、庶民も1分は1分1時間は1時間である
これほど確実な真実は生きている限りにおいてはないからである

山を歩けば周りの自然現象の変化、空間の変化、すれ違う登山者との接触など、刻々と変化して自分自身も変化して限りない
周囲の他者、自身の変化も巻き込んでの体感であるからであろう、

自分自身の変化でいつも顕著に体感できる事柄に自然現象(木々、草花)の
シンプルさであることに気がつくのである

木々、草花、のいのちが生まれたころの初々しさ、僅かな2,3、枚の葉っぱを貰って
一生懸命に成長していく過程、大きく成長して花を咲かせて子孫を増やしていく過程、
やがて葉を落とし、花を散らしていのちを終息させていく過程、この時間の経過を諸に
体感できるのが歩いているときである

自然のなかに居てこのようなことを感じていると、わが人生も引き算をして生きるのが
楽しくいいことに思えてくる、
生きている間に溜め込んだ、しがらみ、不要なもの、固定観念、、精神、脳を劣化させる
毒のようなストレス、などを自分のなかから出して振るい落としていく、引き算である

生まれたときのような、素のままにはなれないけれども、少しでも近づいて生きられたら
いいだろうな、たのしいだろうな、と思っている




































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