知情意

創造・情熱・挑戦の第二弾
11月「マナビぴあ」へ向けて
準備中

ブログ再開

2007-03-05 16:13:14 | Weblog
ご無沙汰です。

劇団銅鑼「Big brother」倉敷公演

2006-11-20 19:10:44 | Weblog
 昨年夏、毎日新聞の「教育の森」に、「Big brother」の記事が掲載されていた。
 昨今の青少年の問題に心を痛めていた私は、早速岡山近隣で公演予定があるかどうかを確かめたが、11月に安城市で弁護士会の主催であるとの情報を得た。これを機会に、本演劇の作者と交流を持つことができ、安城市の公演を観劇したのである。
 舞台が岡山であるにも拘わらず、公演されていない!是非実現させたい、との気持ちで、下記のスケジュールで私の夢は実現されつつある。

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いちど道を踏み外した少年は二度と立ち直れないのか
   ~ あなたが身近で真正面から向かい合えば きっと立ち直る ~



ふとしたことで過ちを犯したら、それから先どの様に真っ当に生きようとしても、自分に張られたレッテルが付きまとい、やがて投げやりになり、生きる気力さえ失っていく。そうして「俺は生きている価値のない人間だ!」と考え、迷い苦しむ。
 そのような人達を保護司としてサポートしている多くの方々がおられるが、さらに年齢的にも近く、なんでも相談できるお兄さんやお姉さんが力になれば、きっと立ち直れる。
 劇団銅鑼「Big brother」が平成15年に制作初演され、これが全国版の新聞に取り上げられた。この記事を見た地方のお母さんグループや多くの学校が、公演を目指し活動し、観た子ども達や保護者を含めて多くの大人に感動を与え、さらに公演が各地で燎原の火の如く広まっている。
 一人の罪を犯した少年が、もがき、苦しんでいるときに、同じような過去をもち、多くの人たちの力によって見事に立ち直った一人の青年と出会う。 
まるで狼の如く粗ぶれ、総ての大人を敵視し噛み付く。青年は、少年の
どうもうな行動や言動を優しい眼差しで見守り、そのまま受け入れている。
 やがて少年は、「この人は、俺の気持ちを分かろうとしている」と気付き次第に心を開はじめ少しずつ落ち着きを取り戻していく。
 「生きとるこたぁのう それだけですごいことなんじゃ~」
 その言葉を信じ「俺も生る価値があるのか」と自問しはじめ、幾多の困難も乗り越え立ち直っていく姿を観ていると心が揺さぶられる。



 なんと、この舞台設定が、戦後間もない岡山県内のある町の出来事となっている。
 希薄な近隣のつながりを復活させ、近くにいる友人や先輩が、この子たちに自立できるように手を差しのべ、支えることが如何に大切かを、今こそ考えてみる良い機会にしたい。
 
 下記の予定で、劇団銅鑼「Big brother」の岡山県内本年度の公演が予定されている。
 
◎11月20日 (18時30分開場)19時開演 倉敷芸文館
   この上演は、「ビッグブラザーを鑑賞する会(代表 仁熊 實)」によって公演準備が進んでいる。
◎11月27日 (18時15分開場)18時45分開演 岡山市民文化ホール
   主催:岡山県子ども劇場 協賛:法律補助協会によって公演準備が進んでいる。
                          (2006/7/30)

チボリ公園の2日目、国会議員来所

2006-10-08 21:59:12 | Weblog

今日は、チラシ展示デスクを通路に出しました。
でも、やっぱり自主的にチラシを取得される方は、
少ないです、今日も手渡し配布に努めました。
柚木衆議院議員が、視察激励に来られました。

チボリ公園でチラシ配り

2006-10-07 11:05:34 | Weblog
10月7日 倉敷チボリ公園内でチラシを
配りました、沢山の入場者がありました。
実行委員の方も応援に参加されました、有難いことです。
石井岡山県知事も来園されました。

人脈の有り難さ

2006-09-30 08:27:17 | Weblog
 考えてみれば、なんと無茶な行動を衝動的にしはじめたのだろうか。
 動機は単純で、劇団銅鑼「Big brother」を一人でも多くの方に見てもらおう、いや今だからこそ見て欲しい、その思いでスタートしたものの、結局は一人では何もできず、身近な多くの方々を引っ張り込んでしまった。
「劇団銅鑼」は、素晴らしい演目を上演しているが、岡山では馴染みが薄い。しかし、この「ビッグブラザー」の内容に共感され、「やろう、なにか社会のために役立ちたい」との想いを抱く集団となっている。
 長年保護司をお務めになったかたを代表として、警察の協助員、町会議員、会社の会長や社長、所長、私のような年配者など今のところ平均年齢は相当高いが、これからは、若い人達と、奥さんパワーの協力が是非必要だとおもっている。
 どうやら、気がつけば、人のために活動しているのではなく、自分自身がこれまで生きてきた証を確認することになりそうである。
 そうだ、私達が「ビッグブラザー」おじさん(今のところ男性だけ)なのだ。

実行委員会を開催しました。

2006-09-28 05:39:34 | Weblog
9月26日 実行委員会を開催しました。
今までの準備状況の報告:ポスター及びチラシ完成
これからの活動:会場との最終調整
開催時の会場の運営など:駐車場等の警備

9月27日 玉島テレビ放送株式会社訪問
PRビデオ収録 
出演:仁熊(倉敷公演実行委員会 会長)
   小関(劇団銅鑼:脚本)
その後、後援企業等へのお礼挨拶
ポスターとチラシを配布

倉敷公演への後援次々に広がる

2006-09-08 21:43:01 | Weblog
 殆ど毎日のように、青少年の犯罪がマスコミに出る。一体どこに問題があるのだろうか。
 対人関係では、「話しかける」「微笑む」「挨拶をする」「抱きしめる」などのの他にも「叱る」「叩く」も相手を認める行為である。これに対して、陰湿で、相手を認めない行為として、一番問題なのは「無視」である。この他に肉体的には「折檻」「つねる」などもある。
 家庭では、一人っ子で甘やかして育てる。その逆として、干渉し過ぎ、父親不在がある。親としての自分の価値観を押しつけるだけでは、子どもの気持ちを察することができない。これが次第にエスカレートすると、相手を認めない行為へと変化し、一見従順に見える子どもの姿の裏に、鬱積した気持ちが限界にきて、そのマイナスのエネルギーが一気に発散する。うちの子に限って、まさかあの子が、は、その青少年の心の闇を見抜けなかった大人の責任である。もっともっとストロークが必要なのではないか。
 子どもが親を殺す、親が子どもを殺すとなると、一番安心な場所である筈の家庭が無くなってくる。
 とにかく、真っ正面から向かい合って、真剣に自分のことを観てくれていると青少年が気づいたときに、愛を感じ、生きることの意味を見出す。
 一寸したことで道を踏み外し、懸命に立ち直ろうとしている青少年は勿論のこと、そうならない為にも、もっと私たち大人が、自分の子どもであれ他人の子どもであれ、一人の人間として人格を認めることから総ては始まるのではないだろうか。
 劇団銅鑼「Big brother」は、これらを考えさせてくれる。

 後援団体が増えてきている。
  倉敷市教育委員会
  早島町教育委員会
  総社市教育委員会
  矢掛町教育委員会
  株式会社倉敷ケーブルテレビ
  株式会社NTTドコモ中国 岡山支店
  玉島テレビ放送株式会社
  OHK岡山放送
  山陽新聞社
  株式会社NTT西日本-東中国 倉敷支店