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日月潭・埔里でロングステイ 埔里編

2011-04-22 10:50:24 | 埔里・日月潭でロングステイ

   日月潭、埔里でロングステイ 埔里編

 埔里の人々と日本語

南投県観光部長洪さんは若い頃東京で生活され日本語は日本人同様です。その下の観光推進課の劉さんと広報課の女性孫さんも日本語を話します。さすが観光振興を立県目標とする南投県です。たまたま洪さんにお会いするチャンスがあり埔里でロングステイをしたいので何方かご紹介して頂きませんかとお願いしたら埔里中学時代の蔡先生は校長で退職されて今はいろいろボランティア活動をされていると教えて頂きました。埔里に帰り早速、蔡さんに電話したところ次の月曜日午後1時半からアポロ・ホテル近くの川に面した南安里路の同聲里集会場でカラオケ会があるのでそこで会おうとのことでした。勿論、会話は日本語です。アポロ・ホテルの場所を知っているなら1階の喫茶店に日本語を話す女性がいるから聞いてごらんと至りつくせりのご指示でした。
早めに集会所へ行ったらぼつぼつ年配の方々が集まられました。立派なカラオケ設備もあります。会の幹事の蔡さん(この方も蔡さん)によれば会は日本語演歌のみを対象とするカラオケ同好会で今日は日本人の矢野さんも来る予定だとのことであった。皆さんの唄う演目表を見せて貰ったらあんたも唄えと云われた。音痴の小生は残念ながら辞退して聞くだけにした。 
最初に唄われた曲は蔡さんの竜飛岬。「浪花節だよ人生は」をアルトの高い声で唄ったのは90才のおばーさん、声だけ聞けば50才で通ります。台湾の中心の街、埔里で週2回永年継続している日本語演歌愛好会があるのには感激しました。                                                                                    

                                       
演歌を歌う90才のおばーさん。勿論、正確な日本語です。

2時頃蔡先生がやって来られました。「カラオケで唄ったかね?」「音痴でとても駄目です。ここを会う場所に指定して頂いた先生に感謝します。非常に非情に参考になりました」 アポロ・ホテル1階のコーヒー・ショップに場所を移しいろいろご意見を伺い、我々仲間のグループのロングステイ推進に協力をお願いした。霧社事件に興味があるなら君の泊ってい永楽園大飯店一つ南の西康路に霧社事件中心人物の孫の経営する素食店(菜食店)があるよ。もう一つは鎮立図書館の4階は昔の日本留学生が寄付した日本語専門フロアーになっている。館長は昔の教え子の女性だよ」       
それは二つとも小生の大関心事の早速訪問することにした。最初に訪問したのは素食店「五湖素食餐坊」である。店主の高裕昌さんは霧社事件で責任を取って自殺したタイヤル族出身の巡査花岡二郎の孫だとのこと。裕昌さんは日本語は駄目だが午前中は店に来ているお母さんの潘美信さんが格調ある日本語で話してくれた。                                                 
霧社事件の語り部として有名なオビンタダオ(高彩雲)さんは霧社事件の時、花岡二郎の子供を懐胎していた。遺言で俺の子供を生んでくれと云われ事件の修羅場から逃れ生きることにした。親切な日本人巡査の世話で高永清(ビワホリス)さんと再婚し連れ子の高光華さん(アウイダッキス)は高永清さんの義子として育てられた。高永清さんは優れた人で刻苦勉励し先住民として初めて日本の資格をとって医師となった。廬山温泉の有望性を予測、最初の温泉ホテル碧華山荘を開業を開業した。初代の仁愛郷鎮長(霧社が郷役所所在地)に選ばれその後、台灣省議員となる等目覚しい成果を上げた人である。息子の高光華さんも第7代仁愛郷鎮長となり霧社事件を蜂起した大酋長モーナルダオの墓と記念碑を仁愛郷公所(郷役場)横の記念公園に建立している。                  
潘美信さんは高光華さんと結婚、オビンタダオさんが女将として采配を揮った碧華山荘の運営を援けられていた。1996年オビンタダオさん、2002年に高光華さんが死亡後も暫く碧華荘の経営にあたられていた。しかし大きくなったホテルの運営はホテル専門家でないと難しいので経営を譲渡され引退された。(現在は碧樺温泉会館となっている) 霧社事件に強い関心を持つ人で碧華山荘を訪ねた人は沢山おられ、ネット情報も沢山み見かけるがその後については殆ど見かけないので投稿する次第です。          

            
 潘美信さんと息子の高裕昌さん。(中国は夫婦別性)   大酋長モーナルダオ決起の記念像

 当時の先住民、生れた時は部族としての名前を名乗り、次いで日本名を公称し、戦後、日本名から中国名に変更している。オビンタダオさんは日本名:花岡初子、中国名:高彩雲と一生に3つ名前を持っていた。本項では混乱をさけるため霧社事件の語り部として有名なオビンタダオとさん以外の人は中国名を使用した。(混乱しているのはお前の頭だろうって。ハイさいです)

     埔里鎮立図書館と日本語

 埔里図書館はで4階が日本語図書室になっている。1階には広々としたロビーがあり喫茶室もある。1階のパソコン・センターの1台には日本語IMEが入っていて日本人ロングステイヤー拠点として充分である。ただ現在ある日本語図書は埔里から日本に留学した5名の親日家が亡くなりその秘蔵図書を埔里文庫として集約保存しているものである。この文庫の歴史的価値はあるが、昭和後期、平成の書籍が無いのでこれを補充しなければ実用的ではない。埔里訪問の都度持参した本を蘇館長にお渡している。他の方々が寄贈した本も併せ平成出版の本も200冊を超えたようです。 日本人旅行者、日本語読書に関心ある埔里の人達が利用できるよう交渉中である。図書館には日本語を話せる若い女性の王さん、邱さんがいるので4名で話をした。ここを日本人旅行者と埔里の人たちとの交流場所とするのが目的である。皆さんも読了すみ不要となった図書の寄贈をお願いしたい。           

                    
  日本語図書館 右手は管内喫茶室        日本語図書室の一部、坐永福さん遺贈分

                
   1階の雑誌棚とパソコン 手前PCはIME日本語入り     1階のロビーと閲覧新聞棚

 図書館の隣に運動公園がありテニス・コート5面とプールもあり日本人も使用出来る。

    その他お会いした日本語を話す人達 
今回泊った永楽園大飯店オーナー張おばーさんは昭和2年生まれで公学校(日本の小学校該当)卒業、天一飯店の隣の酒屋のご隠居さんは大正10年生まれ、兵隊に行ってシンガポールで終戦、「五湖素食餐坊」隣の電気店洪さんは流暢な日本語を話す。瑪祖廟近くの埔里客家協会の理事長李さん、その他、日本語を話す沢山の人と会いました。
埔里のある南投県は花蓮県、台東県と共に日本語の通ずる人たちの多い3県と云われているが南投県、特に埔里が最も通じやすいようです。台東県庁、台東市、花蓮市の観光課巡りをしましたが日本語は駄目でした。最後の花蓮県庁は週末時間切れで訪問出来ず。この2県は民間で日本語が通じやすいが官庁を含めれば南投県が一番でしょう。県庁、埔里鎮、霧社郷役場でも、さらに埔里図書館まで日本語で話すことが出来ました。                                                      
 しかし彼等にも仕事があり、生活があるから我々の期待通りにはゆきません。カラオケ同好会では彼等の時間に我々は合わせる事が可能です。より広くは図書館を訪問する日本人の流れが出来れば現地の人が都合の良い時間、交流にやって来られるでしょう。とにかく今回のロングステイで図書館の日本語フロアーとカラオケ同好会を見つけたのは収穫でした。

   埔里のホテル

愚生の住んでいる東京都下の清瀬市は人口8万人だがホテルは一軒もない。近隣のもっと大きな市でも大同小異である。ところが人口9万人の埔里市には350室の大型ホテル鎮宝大飯店、50室以上の中型ホテル5軒、50室以下のホテル、民宿を加えると50軒以上ある。

              
前面の大きなビルは350室ある鎮宝ホテル      日経「旅名人ブックス」で紹介されたアポロホテル                                             
          

                                                               
                                                                                                                                                                                                      

ロングステイ向きとして宣伝されていた3LDKが多い元寶マンションは現在、台湾人の長期契約で満室で日本人ロングステイ受入れに関心を失っている。埔里は貸室の多い街で貸室広告を良く見かけるが事情を知らない人間、まして中国語の出来ない人間には全く手が出ない。

    埔里の食堂                                                   
西安路を南西に辿り二本目に広い路幅の広い南安里通にクロスする。 この右角にかなり大きい自助餐店(看板無し)がある。 自助餐店とは家庭料理を並べてセルフ・サービスでおかずを客が選択する店である。沢山料理するため煮物料理が殆どである。 この店はおかゆ、味噌汁、昆布巻きまで提供しているのが有難い。野菜2点、魚か肉料理を1点、昆布巻き、味噌汁で50元である。料理後あまり時間を置かないで食べるほうがおいしいので毎日、昼食を自助餐で食べることにしていた。自助餐では料理を目視できるし(中国語音痴には有難い)野菜料理を食べるのは健康維持上大切である。 南安路を右に曲がるとすぐ通りの反対側に博多らーめんの看板が目に入る。ラーメン70元、チャシュウ麺80元である。 

                  
自助餐店の料理。流行る店ほど料理多く新鮮。     このラーメン店の麺はしっかり、具沢山                        

この通りをさらに西に進むと西康路と交差するがその右角に説明すみの高さんの「五湖素食餐坊」がある。この店の特色は煮込み麺70元である。麺の煮込み料理で薄味なので日本から持参した乾燥赤だし味噌汁を入れると煮込みうどん風になる。(殆どの自助餐で汁を無料でだしているが薄味が多いので持参した乾燥赤だし味噌汁を追加するのは大変有効だ。)        
ホいテルから北西に向かって西安路を進むとすぐ中正路の大通りにクロスする。左向かい角に牛排と表示した「貴族世家」と云う店がある。とにかく料理名は難しい。帰りの飛行場へのバスで同名の店を見かけたので英語を話す人に聞いてみたらステーキ専門のチエーン店であるとのこと。中正路を右に曲がってすぐに鍋貼専門店がある。店頭で料理しているのを見たら鍋貼とは焼き餃子のことで早速入って注文した。焼き餃子1個4元を8個と玉米スープ(コーン・スープ)15元計47元が夜食代である。 蒸し餃子は水餃である。                                         
通りを越してまっすぐ進むとすぐ左側に小上海と云う小龍包専門店がある。ここでは日本語の漢字知識ですぐ了解、入って注文した1籠8個50元、それにコーンスープ15元合計65元がある日の夕食である。さらに進むとセブン・イレブンの対面に東方美と云う店がある。朝食時は席も一杯、テーク・バックの人も沢山いる繁盛店である。大きな料理料金表には漢堡、三明治、吐司、蛋餅、飲料と分類されていて料理名はさっぱり解からない。毎朝順番に各分類の一品を注文した。漢堡はハンバーク、三明治はサンドウイッチ、吐司はトーストと了解した。蛋餅は中国風お好み焼きでこれが特においしかった。飲料は紅茶、珈琲、豆漿、米漿で台湾はお茶の国、紅茶は美味しいが咖啡は発展途上国で普通の食堂では旨くない。米漿は淡い甘さのお汁粉のようで蛋餅と米漿が毎朝朝食の定番となった。蛋餅25元、米漿15元である。 

    埔里のスーパー・マーケット

埔里には大型スーパー・マーケットは無く、あちらこちらに食品中心、衣料中心の中型スーパーがある。しかし日本食品の多いスーパーとなると中正路を北に10分ほど歩き信義路(国道14号)との交差点の左手前にある喜屋超市のみである。ここには台南製キッコーマン、信州味噌ほか各種味噌・醤油や日本式調味料を売っている。なんとインスタント信州味噌汁まで売っている。しめしめと早速買って自助餐で出される薄味の汁に入れて味噌汁として食べてみたが結構いける。日本統治時代から60有余年たった現在でも味噌、醤油から各種調味料まで日本産(台湾工場産?)から台湾製までいろいろあり料理に心配はなさそうである。スーパーで売られている米は100%日本米である。すべて日本式料理でないと駄目と文句の多い旦那にも奥さんは困ることは無さそうだ。          


 喜屋超市。前方四辻を直進5キロで中台禅寺。

     埔里でのお勧め
ロングステイを愉しむことは観光とは異質なものである。前者は繰り返し行えることを目的とし、後者は1回見ればそれだけのことである。ロングステイ適地を探すのに観光案内的に取り組むのは筋違いである。
まず埔里の街にある台湾中心碑を取り上げたい。中心碑そのものは虎頭山麓の国道14号腺の近くにあり観光バスが来ても20分ほどとまり碑の写真を写すだけである。まさにチョットダケヨである。碑のあるあたりは標高450mほどでここから標高555mの山頂まで絶好の遊歩道がある。2車線のなだらかな登山道はあまり車が通らない。歩いて登る人、自転車で登る人みんなゆっくりした余暇を愉しんでいる。頂上の手前に駐車場広場があり車で来た人たちもそこから徒歩になる。広場には2〜3台のカラオケ車が来ていて山上でのカラオケを愉しんでいる。徒歩道を頂上に登ると埔里の街を見下ろす東屋が2棟ある。平日は登山客が少ないので写真を撮ったり座って文庫本をのんびり読んで時を過ごす愉しみがある。街の中心から中心碑まで約1キロ、登頂往復3キロで丁度手頃なウオーキング・ルートである。   

     
虎頭山頂への車道。絶好のウオーキング・ルート     山頂よりの景色。高いタワーは禅寺 普天精舎                             

   埔里の温泉     
市内には2ヶ所温泉がある。1ヶ所は霧社方面に行くバスで街の東郊の獅子頭で降りたところにある箱根温泉生活館である。室内温泉と広い露天風呂がある。日本語も英語も通じないので館員に書かれた通り入湯料250元を払って入館した。帰って高かったと劉さんにこぼしたところ敬老割引がある筈と笑われた。もう一軒は虎頭山の東のリゾート鯉魚路にある天泉温泉会館である。ここへは無料観光バスで行き時間がなく料金は聞きそびれた。 

      
     箱根温泉生活館の本館                   平日で広い露天風呂はガラガラ   

   埔里の観光ポイント

埔里の観光ポイントとして最も有名なのは埔里酒廠である。埔里は水質が良いのでここで醸造される酒は台湾一との評価が高い。週末になると各地からの観光バスがわんさとやって来る。この工場に見学にくると酒を振舞われるかと期待する向きもあろうかと思われるがそんなサービスはない。この工場の近くに馬祖廟、孔子廟があるので一巡すると手頃な散歩道になる。          

 街の中心から5キロ北方の丘の上に巨大な中台禅寺がある。東南アジア一の巨大寺廟で台北101の設計者がこの寺を設計したので普通の中国式寺院とは違い近代的な建物である。分院つまり日本流に云えば末寺の数は100を超え外国にもある。日本の分院は大阪府門真にあるそうだ。虎頭山頂から見下ろすと西北方に巨大な中台寺本院、街の中心の高いタワーの普天精舎が嫌でも目に入る。    

                   
 埔里酒廠 全島から沢山の観光バス               東南アジア一大きな中台禅寺

 

 

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海外旅行
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