こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

私が、私に気付くとき

2016年10月12日 | 自己実現
肯定的な意味では、のびのび天真爛漫に、
ちょっと否定的な意味をこめれば傍若無人に、
そんな傾向が成長とともに影を潜め、
感謝と礼儀をわきまえる大人になったとして。
影を潜めたのが、のびのびやり過ぎて叩かれたからと、
叩かれないためというそれだけの理由で、
礼儀をわきまえるようになったとすれば、
叩かない相手なら傍若無人が顔を出すことにもなりかねず、
そのような人を想像するとゾッとしますが、それはそれとして。

叩かれたことをきっかけに、あんな態度で恥かしかったぁ、、と
我が身の態度を恥じ入る感情が芽生えたとしたら、
表面的でない、本物の変化のきっかけになるかもしれません。
変化したその人にとって、相手の出方や評価に関係なく、
自分自身に対して私はどうありたいかという感覚、
そこから生まれた変化は本物であると思います。

さてさて。薪割りのことがチラチラ頭を過ぎりだす季節、
居間の薪ストーブの薪割りを始めて7,8年になりますが、
それまでの我関せずの態度は、どうしてあんなふうにしていられたのか!?と、
自分で呆れますが、或る日を境にガラッと心境が変化して、
やってもらって当たり前のことは一つもなかった。
この気付きがなければどうなっていたことでしょう。思うとゾッとします。
〔8〕
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