こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

水が不足して考えたこと…

2008年06月17日 | 意識と知覚
ポンプの寿命が尽きて、井戸からの給水が完全に止まってしまいました。この数日を貰い水と雨水で急場をしのぎ、限られた水をやり繰りしていますが、こんな時、思考はどうしても、“限りある事”について考える方へ向かっていきます。水の不足は、当たり前のように水があるときには、なかなか気付けなかった大事なことに思いを巡らす、貴重な機会を与えてくれました。

限りあるもの、限りある関係、限りある心と体・・・これらを突き詰めて行けば自ずと、限りあるこの世の暮らし、限りある人生という思考に行き着きますから、この数日間は、大袈裟に言えば“人生に悔いがないのはどっち?”というのが行動の基準になっていて、外から見れば別に変化したとも思われないほど、日常生活の枠に納まっている事ばかりですが、私自身はいつになく、時には厳粛というのにも近いような心境で、考え行動していたりするのです。

水という、おそらく最も大事な命の糧の一つに不足がでると、なんと自分は余分なものをいっぱい抱えこんで生きていたことかと、本当に必要なものだけもって身軽に生きてゆきたいという思いが強まって、不要なものの仕分けと処分、身の回りの整理整頓に励むことになりますが、同時進行で、目には見えない心の整理の方も少しずつ進んでいくことになります。                                                                                             
有限の人生を意識すること。日々それを意識して行動するということは、この世での人生を終えてなおも続いていく魂という存在を、くっきりと浮かび上がらせ、信じることを強めるのだということにも、気付かされます。当たり前ですが、有限をきちんと考え、意識せずして、魂の意味を解るはずもないのでした。それにしても、ずっと以前に今回のような水不足を体験した時には決してなかった、限りある人生と魂について、淡々と明るく思い巡らせるような心の在りようは、“生き甲斐の心理学”を学んできたからこそなのだと、しみじみ思います。

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