とね日記

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実在とは何か? (別冊日経サイエンス)

2012年09月07日 13時56分21秒 | 物理学、数学

実在とは何か?(別冊日経サイエンス)


僕が本書を読んだのはimaroさんがお書きになった紹介記事がきっかけである。

「実在とは何か?」というタイトルは哲学めいているが、もちろん物理学的な意味での問いである。物理学や数学の勉強が進むにつれて、この問いにはほとんど意味がないと僕は思い始めていたところだ。

日常的な意味での実在性とは

人間の五感でとらえられるものを実在と呼ぶのなら、それはそれで完結した話だ。だが、もちろん私たちはそうではないことを知っている。電磁波や赤外線、紫外線(、そして放射線)は目に見えないけれども、それらが「在る」ことは物理学を学んでいなくても一般常識だ。

物理学の範疇にこだわらなければ、観念的な世界で実在性を問うこともできる。友情や愛情は目に見えなくても確かに「在る」ものだし、親子関係や師弟関係など、人と人のつながりも「在る」か「無い」かのどちらかなので「数学的な実在性」の有無を問える対象だ。だが、以下は物理学で扱える対象に話を限定しよう。

物理学における実在性とは

たとえば「実数で量があらわされる対象」ならば「実在する」と決めてみてはどうだろう?電場や磁場は実数(実数ベクトル)であらわさられるから電磁波や赤外線、紫外線が「在る」ことの理由付けとしてはよさそうだ。直接目に見ることができない「空間」や「時間」も実数で量を測れるのだから、この考えはいいかもしれない。

時間と空間が伸び縮みするアインシュタインの相対論の世界であっても大丈夫だ。1つの時間座標軸と3つの空間座標軸の目盛の幅を時刻と場所ごとに少しずつ変えればよいだけの話で、実数で量を測れることに違いはない。ただし世界が1次元の時間と3次元の空間という2つの独立した実在の概念を捨て、4次元の時空という1つの実在を受け入れることになる。

けれども、量子力学を学ぶとその考えではダメなことがわかる。電子を始めとする素粒子の有り様を示すシュレーディンガーの方程式と呼ばれる基礎方程式には虚数 i が含まれているし、この方程式の解は複素数の値をとる波動関数だ。私たちが日常感じている時空間以外のどこかに、この複素関数が「在る」ことを認めなければ、私たちが日ごろ見たり、触ったりできる物質の有り様が成り立たないのだ。元来「この世界に存在しない想像上の数」として定義された虚数が、この世界の実在性を保証するために不可欠になったわけなのだ。

物理学で扱う物質や現象は、数式であらわされ、数式のもつ意味合いの正当性や物理現象をあらわす解の存在は数学における証明によって裏付けられる。これを物理法則の数学による定式化という。

物理学が発展するにつれて実在性の意味はさらに怪しくなった

量子力学以降、物理学はますます多様で高度な数学理論が必要になった。高校で学ぶ微積分や微分方程式はニュートン力学やアインシュタインの特殊相対論を記述するには十分だが、一般相対論にはリーマン幾何学、リーマン・テンソルが必要になり、量子力学では複素数のヒルベルト空間(純粋に数学的な空間)が登場し、場の量子論や素粒子物理学には、リー群論や微分幾何学、位相幾何学(トポロジー)、フォック空間などの数学理論が高次元で使われる。本来4次元の時空に収まっている現象を説明するために必要になる高度な数学的な関係式はますます増えている。

補足:上記の高度な数学理論を、説明の正確さが犠牲になることを承知の上で、一般の方向けに解説すると次のようになる。

- リーマン幾何学: 曲がった多次元空間を記述する幾何学理論。曲がった多次元空間で既存の数学理論がどのように修正され、一般化できるかを研究する。
- テンソル: 複数の数をまとめて1つの大文字の英字であらわし、複数の添字(i,j,k,..)でその中の数を指定する記法。ベクトルや行列を拡張したもの。テンソル代数と呼ばれる規則に従って計算が行われる。物理では力による物体の歪みをあらわす応力テンソルや、時空間の歪みを表すリーマン・テンソルなどで使われる。
- ヒルベルト空間: 複素数を使って構成されるベクトルを座標軸として張られる数学的空間。
- リー群論: 何種類もある素粒子やその物理量(性質)、時空間などの間に成り立つ複雑に関連している対称的な関係を表現するための数学理論。連続群論とも呼ばれる。
- 微分幾何学: 無限小の線分をなめらかに無限個つなぎ合わせて物体や空間を構成する多次元の幾何学。アイザック・ニュートンが創始者。
- 位相幾何学: 自由に変形しても変わらない物体や空間の性質を代数学的に研究する幾何学。もちろん多次元の物体や空間が研究対象。点と点の間に「距離」という概念を持たないのが特徴。
- フォック空間: ヒルベルト空間を無限個使って拡張した数学的空間。

これらの数学理論は高度で難解ではあるものの、非常に美しい形で物理法則を表現している。そしてその結果、直接目に見えない物理現象や直観とは全く異なる摩訶不思議な「この世界の本当の有り様」を私たちに教えてくれているのだ。たとえば時空の歪みや反粒子の存在、量子テレポーテーションなどがあげられる。物事の実在性を「数学で表現される関係」にまで拡張するならば、私たちはこれら高度な数学で記述された物理法則も「実在するもの」として認めることになる。

しかし場の量子論で導入される「ゴースト場」や「ゴースト粒子」は計算のつじつまを合わせるために導入された数学的な手法から持ちだしたものであり、物理的に存在するものではない。(もちろん幽霊やスピリチュアル系とは関係ありません。念のため。)

実験や観測による理論の裏付けの大切さとその限界

物理学には数学理論による裏付け以上に重要なことがある。「実験や観測による裏付け」だ。これがないとすべての物理法則は単なる仮説でしかなくなる。裏付けのない仮説は「妄想」でしかない。もちろん実験して検証できるのは4次元の時空内で起きる現象だけであるし、使える装置のサイズやエネルギー、実験できる場所などの制限があるから、私たちが検証できるのは物理的世界の中のごく一部にすぎない。4次元以上の物理世界、広大な宇宙空間で起きるあらゆることのうち、ごく一部を狭い隙間から覗いているようなものだ。

今年の7月4日にCERNで行われた「ヒッグス粒子発見の報告」は素粒子物理の一部である「標準理論(統一理論)」の正しさを裏付けた、実験物理学の大勝利であるとともに、この粒子を予言した場の量子論と数学理論の有用性が実証された稀有な例である。ただ標準理論ですべてが解決したわけではない。第一、標準理論には重力理論が含まれていないし、解明されていない謎がいくつも残っている。

最先端物理学が描く世界像、数学的実在性と物理的実在性

その後も理論物理学は発展し、標準理論は拡張され、超対称性理論や11次元や26次元の物理的空間を前提とする超弦理論、ミクロな世界で不連続で離散的な時空間を前提とするループ量子重力理論、リー群のうちの例外群の1つ「E8群」の対称性で記述されるE8理論など私たちの実感ではますます受け入れ難い理論が打ちたてられている。物事の「実在性」を問うことは難しくなる一方だ。数学的な無矛盾性と美しさゆえに、実在するのはむしろ高度な数学理論で表された抽象的な世界のほうであり、私たちが日常の空間と時間の中で実感している世界は幻影にすぎないことが強く示唆されてくるのだ。

冒頭で引き合いに出した「親子関係」や「師弟関係」は在るか無いかを問える「論理関係」であるから数学で扱う対象である。方程式や不等式、論理関係をはじめ上で例示した高度な数学理論で使われる式も同様で、変数と変数の間に成り立つ関係(構造)を示したものであることに変わりはない。

物理学で予想される「高度な数学的な関係式であらわされた構造」の実在性が数学上の実在性にとどまらず、物理的な実在として受け入れる必要がでてくる場合もある。

超弦理論やループ量子重力理論では、数式で表現された11次元(または26次元)空間や離散構造を持つミクロな空間は数学的であるにとどまらず、物理的な空間だと主張し、それらの空間でおきている物理現象を論じることで、現在抱えている物理学上の難問を解決しているのだ。しかし、難問が解決できるからといって、そのように飛躍してしまってよいのだろうか?

私たちは、このような数学的な実在性から物理的な実在性への飛躍をすでに経験している。それはアインシュタインの4次元時空の物理的な実在性のことであり、おおかたの人が同意しているところだ。「そんな同意をした覚えはない。」とおっしゃる方もいるだろう。しかしその同意は、高校までに学ぶ数学と正確なカーナビの精度を受け入れることで、すでになされているのである。特殊相対論は高校までの範囲の数学で記述されるし、相対論による影響を計算に含めなければ、カーナビは実用的な精度を得られないからだ。

電磁気学の基礎方程式であるマクスウェルの方程式は当初4本の微分方程式で記述されていた。物理的に実在するのは電場や磁場、電荷などであり、方程式そのものが物理的に実在するわけではない。しかし、この方程式に対して特殊相対論的に書き換えると、たった1本のシンプルな微分方程式で記述されてしまう。これはあたかも電磁気現象の本質にひとつの物理的に実在する何かがあることを強く印象づける。

また、この方程式に使われているベクトルポテンシャルAという変数は、もともと数学的な架空の変数として設定したものなのだが、後に量子力学のアハラノフ-ボーム効果が実験で観測されるようになると、物理的に実在するのは電場や磁場ではなく、むしろこのベクトルポテンシャルAのほうだということが示されてくるのだ。


このような前置きを念頭において本書を読んでみてほしい。本のタイトルは「実在性とは何か?」なのだが、本書はこれまで月刊のほうの日経サイエンスに掲載された記事からピックアップしたもので、現在最先端とされる物理理論と数学理論を集めたものだ。だから「実在性とは何か?」に対する答を直接与えてくれるものではないが、このテーマを自分で考えながら読むのにはうってつけである。

掲載されている記事の概要は、次のページからそれぞれリンクされているので参考にしていただきたい。

実在とは何か? (別冊日経サイエンス)
http://www.nikkei-science.com/page/sci_book/bessatu/51186.html

物理学に馴染んでいない一般の読者にとっては、現代物理学の最前線がSF映画以上にトンデモないことになっていることがわかって刺激的だし、僕のような物理学マニアや物理学専攻の学生にとっては、今後の勉強のガイドマップ的な読み方ができるのでとても有益な内容になっている。

SFではないからこそ、物理学が描き出す新しい世界像はイマジネーションをいっそう掻き立てるのだ。SF映画にはおのずと制約が生じてしまう。興行収入を得るために難解な内容にはできないからだ。パラレルワールドはともかくとしても、超弦理論やE8理論を正確に取り上げるSF作品が制作されることは、これからもずっとないことだろう。数学的な美しさはSF映画と馴染まないというのが僕の持論だ。


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実在とは何か?(別冊日経サイエンス)


宇宙論,統一理論,量子力学といった現代物理学の主要テーマに関し,「実在」をキーワードに,最近の研究が示唆する新たな描像に迫る。科学者がどのようにアプローチしているかを解説するとともに,その方法論や思考方法の変化をめぐる歴史的背景も紹介する。
日経サイエンス編集部 編
目次

CHAPTER 1  実在に迫る

並行宇宙は実在する  M. テグマーク
別の宇宙にも生命は存在する!?  A. ジェンキンス/ G. ペレス
マルチバースは実在するのか?  G. F. R. エリス
数学が世界を説明する理由  M. リビオ
存在確率マイナス1 天才アハラノフの予言  古田彩
宇宙の未来が決める現在  Y. アハラノフ/日経サイエンス編集部
量子の“開かずの間”をのぞき見る  井元信之/横田一広
反逆児サスキンドに聞く 物理で実在は語れるか?   P. バーン
ホーキングが語る 究極理論の見果てぬ夢  S. ホーキング/ L. ムロディナウ

CHAPTER 2  究極の真実を求めて

アインシュタイン 自ら記した統一理論の夢  G.マッサー
統一理論の父 ワインバーグに聞く  A. D. アクゼル
平面国の量子重力  S. カーリップ
時空の原子を追う ループ量子重力理論  L. スモーリン
ホログラフィック宇宙を検証する  M. モイヤー
挑む 大栗博司 超弦理論で世界の成り立ちを探る  日経サイエンス編集部
相対論の破れを観測せよ  A.コステレツキー
幾何学で迫る究極理論  A. G. リージ/J. O. ウェザロール
八元数と超ひも理論  J. C. バエズ/J. ウェルタ
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6 コメント

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余分な自由度 (hirota)
2012-09-08 11:11:55
ゴースト場が実在かどうか疑っています。
制約付き極値問題を解く時に、制約を外した空間でラグランジェ定数を追加して極値問題を解き、結果的に答えが制約内に収まるようにする方法がありますが、追加したラグランジェ定数(変数)は任意で物理的意味はなく単なる計算の都合にすぎないのと同様の事情ではないかと思っています。
簡単な問題ならラグランジェ定数を使わなくても解けますから、必然的な変数ではなく人間が解ける程度に易しくするテクニックにすぎないと思います。
ゴースト場が使われるのはゲージ対称性などで数式表現に無限の多義性がある場合なので、数学が進歩して多義性なしの記述方法が発明されたら不要になるのでは?と思ってます。
Re: 余分な自由度 (とね)
2012-09-08 11:41:06
hirotaさん

ありがとうございます。確かにおっしゃるとおりです。ワインバーグの教科書でもゴースト場は計算の都合上でも受けた場だと書いてありました。
この箇所の記述自体を削除しようかと思いましたが、hirotaさんからいただいたコメントとの整合性がとれなくなってしまうので、該当箇所の記述を修正しておきました。
おぉ! (imaro)
2012-09-08 23:35:17
書評を超える域の記事ですね!楽しく読ませていただきました。

理論が数学で記述されることが当たり前になっていて、実験で調べられる現象とのギャップに悩まされたことがありました。まるで飛躍しているかのように見える数学的技術を自分の中で納得できるように昇華するための勉強の毎日です。

物理学の勉強を通して、実在性まで考えさせられてしまうのも面白い部分の一つですね。
Re: おぉ! (とね)
2012-09-08 23:52:09
imaroさんへ

コメントありがとうございます。本書の内容自体への感想を書こうとすると、テーマが多すぎてとりとめがなくなりそうだったので、この本を読もうと考えている一般の方向けの参考になるよう、前置きのような記事にしてみました。

日夜、この世界にどっぷり漬かっているimaroさんには、苦しいときも心躍るときもあるのでしょうね。快食快眠を心がけて進んでください。

> 物理学の勉強を通して、実在性まで考えさせられてしまうのも面白い部分の一つですね。

そうなんですよね。本を読みながら、どこまでが実在なんだろう?と僕はいつも気になっています。
Unknown (電気屋風情)
2012-09-11 17:53:22
宇宙と数学とは何の(直接)関係もなくて、数学は唯、人間が宇宙を理解するうえで有用だった、というだけではないですか。もう理解できないとこまで理解できたので、後はぜーんぶ、人間の頭では理解できないことを無理に理解しようとあがいているだけだと思います。
 私は、万有引力の法則でさえ、宇宙には無いと思っています。
電気屋風情さんへ (とね)
2012-09-11 19:17:21
> 宇宙と数学とは何の(直接)関係もなくて、数学は唯、人間が宇宙を理解するうえで有用だった、というだけではないですか。

たしかにそうですが、そう言われてしまうと身も蓋もありませんね。(笑)

> 私は、万有引力の法則でさえ、宇宙には無いと思っています。

だとすると電気屋風情さんのお仕事に近い電気の法則(オームの法則やキルヒホッフの法則など)やマックスウェルの法則については、いかがですか?やはり存在しない?

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