草若葉

シニアの俳句日記
 ~日々の俳句あり俳句談義あり、そして
折々の句会も

今日の俳句 / 行く春 (四捨五入) 

2017-04-30 | Weblog


  大輪のばさりと散りて春行けり
  行く春や散りて足下を修しをり
  四月尽散りゆくものをとどめ得ず
  
  囀の降り来る天の広さかな
  水甕のめだかまどろむ春の闇
  茅葺の屋根白白と春の闇
  若柴の上転転と三塁打
  
わが家の牡丹畑は20日に咲きはじめ、今日で終わりました。来年に向けて追肥や選定を行うことになります。花はなくとも青々とした葉が茂っているので目の保養になります。
めだかの住んでいる水甕に蓮の新芽が4本顔を出しました。7月頃咲いてくれることを期待しています。
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8 コメント

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見事な牡丹ですね (九分九厘)
2017-05-01 21:14:52
 写真を拝見すると見事な牡丹を咲かせていますね。色々と話しを伺っていましたが、やはり丹精を込めて育てた努力に牡丹も答えてくれるわけですね。蕪村が見事な「牡丹」の句を多く詠んでいますが、変わったところで

 金屏の赫奕として牡丹哉

という句があります。赫奕(かくやく)とは光り輝くさまをいいますが、ぜひ一度牡丹の美しい姿を、日本画を描きたいと願っております。次の四句を頂きます。
  
  大輪のばさりと散りて春行けり
  四月尽散りゆくものをとどめ得ず
  
  囀の降り来る天の広さかな
  水甕のめだかまどろむ春の闇

牡丹の句はいずれも丹精を込めた牡丹の散りゆくさまを春の終わりになぞらえ、かつ己の歳の行末にも覚悟を見据えた気概が感じられます。
 後の2句、さえずりと天の広さが呼応して自然の景が豊かに見えます。最後のメダカの句ですが、私もメダカを飼っています。ここ10年以上にもなりますが結論は屋外で日陰に水甕をおいて飼うのが一番長生きをするようです。春の闇を作ってやるのがメダカのためのようです。 
お礼 (四捨五入)
2017-05-02 23:19:50
九分九厘 様

4句もお採り下さり有難うございました。
牡丹には丹精というほどの手はかけていません。そのためか今まで何本も枯らしました。
花期が短く一度に咲いてしまうので、切花として家内が近所に配っています。牡丹は夏の季語ですが4月が終わると同時に散ってしまうので去りゆくものの実感があります。

自宅周辺でも雲雀の声は聞こえるのですがいくら目をこらしても姿が見えません。以前は黒い点として見えたのですが。双眼鏡で探してみます。
感じ入りました! (ゆらぎ)
2017-05-04 20:30:33
先日の句会の席上でも拝見しましたが、丹精込めてつくられた牡丹は見事なものですね。いつぞや読んだ白洲正子の『行雲抄』に中山道赤坂宿にある矢橋家の牡丹園の事が書かれていましたのを思い出しました。そこに、牡丹の花見のことが書かれていました。夕日を浴びた牡丹の花が、得も言われぬ風情であると書かれていました。まことに花の王者ですね。写真を拝見して、ますますそのように感じました。好きな句を下記に。

大輪のばさりと散りて春行けり~”ばさり”と”春行けり”が、とてもうまく響き合っています。大変な佳句だと思います。

四月尽散りゆくものをとどめ得ず
  
茅葺の屋根白白と春の闇~句会の席上、木綿さんが”春の闇”の季題に関して、”実際この目で見てみたいと庭にでました、と言われていましたが、頭の中の観念上で詠むのではなく、写実に即して句を詠むという姿勢を感じて、なるほどこれでなくては深い感銘を覚えました。この句もその流れを汲むもので、その写実の中に、なにやら詠み手の想いをも感じられて、よき句かなと思った次第です。
好きな句 (龍峰)
2017-05-04 21:02:25
四捨五入 様

改めて見事な庭の牡丹ですね。作者の1年間の苦労の集大成である事がよくわかります。
いずれの句も含蓄のある内容ですが、次の句を頂きました。

大輪のばさりと散りて春行けり
この場合の大輪は牡丹でしょうか。あっという間に花弁が散り始め、後はばさりと散るのでしょうか。或いは朝起きたらばさりと落ちていたとか。それを見つけた瞬間に、我が庭の春は過ぎ去ったとくっきりと感じられたのでしょう。大きな花が散ると物理的に時の移り変わりを、視覚的に、作者は脳に焼き付けられてしまわれたのでしょうか。曖昧な季節の移り変わりを、鋭角的に切り取られたことに感動します。

囀の降り来る天の広さかな
囀の季節になりました。作者は頭上の梢を見ても鳥の姿は見えず、どこか天上の彼方から聞こえてきたかのように、一瞬感じられたのでしょうか。大空のそこかしこから聞こえて来る囀に、改めて天の広さを瞬間感じられた。感覚の研ぎ澄まされた句ですね。

茅葺の屋根白白と春の闇
辺りは暗い春のおぼろの闇の中に、茅葺の屋根が白白と浮かんで見えた。昼に見れば決して白くはない黒っぽい屋根が春の闇の中では白く見えた。それだけ闇は濃く、深かったということでしょうか。屋根の影の部分は一層暗く感じられますね。
お礼 (四捨五入)
2017-05-05 21:57:02
ゆらぎ 様

3句もお採り下さり有難うございました。ご承知のように牡丹は寒いうちはいわゆる「牡丹の芽」としてじっとしていますが4月に入ると急に成長をはじめ、あれよあれよという間に咲き切り、散ってしまいます。桜とも似通っていますが、花が大きいだけにあっけなさを感じます。
このあっけなさを詠んだつもりです。
茅葺の句は、たまたま葺き替えたばかりの茅葺屋根を見たことがあるのですが、周囲の森に比べ白っぽい色をしていました。闇の中でもぼんやり白く見えるだろうと想像したしたものです。
お礼 (四捨五入)
2017-05-05 22:23:34
龍峰 様

3句もお採り下さり有難うございました。
大輪の句に対するご講評の「曖昧な季節の移り変わりを、鋭角的に切り取る」という文学的な表現に痺れました。まさに鋭くいい当てておられると思います。
囀の句は雲雀の囀りなのですが、広い空を一羽で独占しているように感じられたので詠んだものです。視力が落ちたためか雲雀は見えず囀だけが降り注いでいるかのように感じられました。
茅葺の句はたまたま葺きたての屋根を見る機会があったのでそれを句にしました。闇と言っても真の闇ではないので周りの暗さに比べ、白っぽく見えるだろうとの、半分想像です。

好きな句ほかコメント (桑本栄太郎)
2017-05-06 11:47:09
四捨五入様

お早う御座います!!。
先月の句会でも拝見させて頂きましたが、「丹精を込める」との言葉がぴったりですね?お写真をよく拝見しますと、花の根元に藁も敷かれ土が乾燥しないように保護されています。葉も花もとても勢いが良く、まさに丹精は端正な花姿に通じるようですね!!。
かの国、中国では古来より富貴花とも言われ花の王様と持てはやされたようです。

さてどの句も佳句秀句ばかりながら、特に以下の句を厳選させて頂きました。

☆大輪のばさりと散りて春行けり
自然界の事象は時の経過のように音もなく、連綿と続きますね?。しかし眼に見えるものはどんなに美しいものでも、ある日突然消滅し、消滅する事によって又再生のエネルギーを包含しているようです。時の流れと言う時軸にあって、生々流転のその時々が稲光のように想われ、とてもリアルな一瞬です!!。

☆行く春や散りて足下を修しをり
☆四月尽散りゆくものをとどめ得ず
移りゆく時の流れは、科学万能の現代にあっても人間の力では如何ともし難いものですね?時の流れを諦めではなく、美しく受け入れ感謝の念さえ窺えて見事です。「足下を修す」、「とどめ得ず」との措辞がとても絶妙ですね!!。

☆囀の降り来る天の広さかな
先日も田園を散策していまして、揚雲雀の声が空を覆うようでした。まるで囀りのドームの中に足を踏み入れたような思いでした。

☆水甕のめだかまどろむ春の闇
俳句を作句するという事は、何も遠くまで吟行する、或いは旅行しなくとも、身ほとりに句材はいっぱいあるとの典型的なこの御句ですね?水草に覆われた水甕のうす闇の中で、めだかが微睡んでいるとは、なんとも長閑です。

☆若柴の上転転と三塁打
先般の春の甲子園大会の光景のようですね?若柴の上を転々と転がる白球を、懸命に追う光景が眼の前に見えるようです。
  
お礼 (四捨五入)
2017-05-06 22:53:10
たろう 様

6句もお採り下さり、また、それぞれの句に対し素敵なコメントを賜り、有難うございました。
最初の3句は牡丹とは言っていないので、他の花でもいいわけですが、文脈から牡丹を想像して下さればうれしいです。短期間に咲いて散ってしまうので、季節の移り変わりを鮮明に感じます。
蓮を植えてある水甕にめだかを飼っています。日中は水面近くに浮いていますが、日が陰ると水草の下に隠れてしまいます。飼い始めて1年経ちますが冬を越え成長して元気です。
若柴の句は高校野球の映像化です。若さと躍動感を出せたと自画自賛しています。ご評価有難うございます。

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