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備忘録

「足利事件」で見える詐欺師的な警察の捜査手法

2009-05-17 21:20:43 | 雑記録

「足利事件」で見える詐欺師的な警察の捜査手法

「足利事件」で警察の証拠とされたDNA鑑定の信頼性が揺らぐ再鑑定の結果が出され、再審開始の公算が大きくなった。この足利事件は、1990年栃木県足利市で保育園女児が殺害され、女児の服に付いていた体液のDNAが一致したとして、犯人とされた男性の無期懲役刑が確定している。
足利事件、再審の公算大 自白・状況証拠、焦点に

DNAが一致したら動かぬ証拠と思えそうだが、1990年当時はDNA鑑定を導入したばかりで、鑑定精度が低かったらしい。しかも、鑑定手法もずさんなやり方だったという。事件が起きてから20年近く経って、四兆七千億人に一人の確率で個人識別できるまで鑑定精度が高くなってから再鑑定したら、複数の鑑定結果でDNAが一致しなかった。つまり、冤罪の確率が極めて高くなった。動かぬ証拠とされたDNA鑑定によって、逆に冤罪が証明されようとしているのは皮肉なことである。

アメリカでもDNAの再鑑定で無実が判明するケースが相次ぎ、238人もの人の冤罪が証明されたという。アメリカでは鑑定を認める法律や証拠資料の保全が義務づけられているという。さすがに人権の国というべきだろう。その一方で、我が国はどうだろう?交通事故のネガすら隠蔽するのが当然なお国柄である。とても人権を尊重した国とは言えないではないか。

●自白を誘導する卑怯な取り調べ手法
この足利事件でも被告が自白していた。しかし、警察の取り調べで訳の分からない「動かぬ証拠」を突きつけられ、有ること無いことを「自白」したことにされたと考えるべきだろう。「証拠」に反すること言うとよけい不利になると考えても不思議ではない。

無実を訴え続けると「反省していない」として理不尽に罪を重くするアホな司法も虚偽の自白をする原因になっている。警察も検察も「ウソでもゲロしたら罪が軽くなる」などと、ウソを言ってウソの自白を誘導するのである。ウソつき高知地検検事による自白強要が録音されて被告が無罪になった事件がありましたな(笑)
高知地検検事が自白強要

●証拠能力がないウソ発見器を使う卑劣警察
ウソ発見器最近得た情報によると、少年事件の取り調べまで「ウソ発見器(ポリグラフ)」を使っているという。今どき「ウソ発見器」なんて、と思うだろうが実際に使われている。「ウソ発見器」は、脈拍や発汗など身体的な変化をセンサーで感知する機械であり、科学的に心の中を見透かすようなシロモノではない。脈拍や発汗などは個人的な特性があり、発汗や脈拍が上がっただけで「動揺」しているとは言えない。そもそも警察に連れて行かれて、不気味な機械の電極を付けられたら脈拍が上がらないはずがないだろう。精神的に未熟な未成年に使ったら一発で参ってしまうはずだ。

警察は「ウソ発見器」のことを「記憶を呼び起こす機械」だと主張しているらしい。しかしこの機械が出した結果に法的な証拠能力が認められていない。そういえば、オウム真理教には教祖様の脳波を再現するために頭に電極を付けるヘッドギア(PSI)なるものがあった。オウム真理教は、訳の分からない機械による心理的な効果を巧みに利用していたのだ。新興宗教の教祖が使うようなインチキ機械を取り調べで使用する目的は明らかだろう。

「ウソ発見器」は、心理的にプレッシャーを与えてウソの自白を誘導するための「ウソ自白機」なのである。江戸時代は拷問で口を割らせていたが、今や心理的に痛めつける精神的拷問で自白をさせているのが実態だ。

拷問が禁止されたのは非人道的な側面だけではない。苦痛に耐えれずにウソでも自供するため、真実に基づいた自供が得られないためである。身体的な苦痛は禁止だが、精神的な苦痛なら許されるはずがない。こういう実態を見て見ぬふりの司法も卑劣警察の一味であり同罪である。警察と司法はあまりに国民を愚弄していないか?

●自白至上主義に異議あり
DNA鑑定の誤判定は意図的なものではないだろう。しかし、技術的に未熟であったものを拙速に裁判の証拠に取り上げてしまったところに問題がある。ところが、ウソ発見器は法的な証拠能力がないのに取り調べで使っている。しかも「記憶を呼び起こす機械」だとうそぶくに至っては警察の悪意を感じる。逆説的にウソ発見器を使っただけで自白に信用性が無くなると言っていい。

適切な捜査できっちりした証拠を積み上げ、納得される捜査をすべきである。ところが現実は理想にほど遠い。今の捜査機関も司法もあまりに軽すぎないだろうか?警察は自白させるために手段を選ばないのが当然のようになっている。国民は卑劣な捜査手法に声を上げるべきである。

●冤罪の温床になる権力犯罪の厳罰化を望む
交通事故でも有罪にするために証拠を捏造が疑われる捜査機関である。捜査組織に対する証拠資料の保管義務と隠蔽・捏造行為に対する厳罰化が必須だ。証拠を捨てるなどは、証拠を捏造したと見なせる犯罪行為と言っていい。

冤罪で罪を着せた人に対して「スマン」で済むなら警察は要らない。ペナルティがないから何度でも冤罪をやらかすのだ。冤罪を繰り返さないために、冤罪を起こした連中に厳しいペナルティが必要ではないか?重大犯罪の時効廃止には賛成できるが、それと同じぐらい権力犯罪も厳罰化にすべきである。それが冤罪の抑止力になる。

足利事件で20年も収監されている人が冤罪だったらどうするのか?さらに、当時のDNA鑑定が証拠となって死刑になったケースもある。

犯罪を犯した人間を10人処罰できない罪より、無罪の人を1人でも処罰する罪の方が大きいのだ。

今や人を殺したら死刑が当然だと、昔ながらの仇討ちレベルで議論されているぐらいだ。冤罪で死刑にされた人の遺族は死刑にした連中の死刑を求め、冤罪で収監された人は罪を着せた連中を同じ年月収監を求める権利があるだろう。さて、いよいよ裁判員制度が始まるが市民感覚でどう判断するだろうか?

さて、2009年5月15日から高知白バイ事件の国賠訴訟の裁判が始まった。長く辛い戦いになるだろうが、片岡さんの冤罪が晴らせるよう応援したい。

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