畑を掘り、木を彫り、石を彫り、超自然人!

退職後、自分に気ままな課題をちょっと与えて遊んでいます。

小学校の同窓会って・・・

2017-06-17 14:54:54 | 日記


生れて来た時代、生れて来た家庭、生れて来た土地や環境、というのは自分では選べません。

小学校時代の同窓会に出席させてもらいました。

終戦直後に小学校(当時は国民学校・初等科)に入学、2年生から「小学校」になっています。
当時は空襲のなかった地方でない限り、食料難、住宅難、衣服難、と衣食住の「難」ばかりでした。

こうした時代に小学校生活を何とか乗り越えてこられたのも両親(または片親など)の必死の
苦労があったからと思います。
毎日をひもじい思いで過ごし、遊び方も自分たちで考え、親たちからの面倒など期待できない
時代でした。
勿論、塾通いなどもってのほか。
教育熱心な親は限定的な時代。
こうした同じような極貧の劣悪な環境下で育ったからこそ、小学校時代の同窓会は遠い昔の
思い出を共有している懐かしさがあります。
そうです「同じような劣悪な環境下で生き延びてきた」

今や、傘寿に手が届こうとする年齢、紅顔可憐はいずこへ、特に男子の現役時代の肩書なぞは
全く関係なし、今こうしてお互いに何がしかの身体の故障も抱えながらも気力は未だ衰えず、
明日からの新たなエネルギーを得るための会合が同窓会という雰囲気です。

考えてみれば小学校卒業が12歳ころ、その後60数年間のそれぞれの人生があります。
30数人集まれば、30数人の自分史があります。
そのひとの考え方は千差万別です。
しかし、同窓会はコムツカシイ話を除外して小学校時代にすぐ戻る雰囲気があります。

食生活の貧弱な小学校3~4年ころ、給食で脱脂粉乳のミルクを飲んだ記憶がありますが
これはユニセフの活動の一端だったんですね。
塩辛いクジラの肉を食べたのもこのころです。

小学校卒業のころNHKテレビ放送開始、総理大臣は吉田茂でした。

一部の軍部の暴走によって太平洋戦争が勃発、その後の平成の今の時代に至るまで
戦後の復興と共に歩んできた人生。
有難いことに残り人生の過ごし方のプランは全く自由、束縛される要因はお互いにないことを
祈りつつ。

今は畑のジャガイモも収穫期を迎え、篆刻もボチボチ、円空仏制作もボチボチ、昼寝を楽しむ
ことも忘れずに・・・
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