しかも元職員。26歳、若い。
私が老健の認知症専用(?)のフロアで10日間実習したときの、毎日死にそうになってたことを思い出した。
実習2日目に、中学時代の3年間英語を教わった先生が入所してくるという、なんという偶然。いきなりの大打撃。
(この先生のお陰で私は英語がてんでヤル気のない悲惨なものになってしまったのは余談💦)
数日後、朝の申し送りの時に、先生が要注意人物にされていた。
というのも、先生の友人も入所されていて同室だったが、夜中友人のイビキが酷く、[私の解釈:起こそうとして声をかけるも起きない。異常に思ってしまった先生は友人の頬を叩くも起きない。果ては]馬乗りになってまで叩いていたとのこと。
ある時は、フロアの角部屋の個室に居る方が夜中に奇声をあげ続け、[私の解釈:先生は紳士的にドアをノックして「静かにしてください」と注意するも伝わるはずもなく、果ては]先生が大声でその方のドアの前で「静かにしなさい」と怒鳴っていたとのこと。
あまりに疑問に思い、その日の終わりのレポート記入にとどまらず、私の担当のスタッフに質問をした。
うるさいからうるさいと言うのはある意味当たり前の事なのに、ここにいると問題視されるのは何故か。
返答は、ここは認知症のフロアで、まわりは高齢者。その方々に配慮が出来ないのはやはり問題なのだそうだ。
…だからこそ認知症の症状なのでは?
うるさいからうるさいと注意するその部分は正常なのでは?
頭がこんがらがったのを痛烈に覚えている。
そしてどうするの?
安定剤やら睡眠薬やらやたらに与えて静かに眠らせてしまう。
正常な部分も鈍らせて、誰かに都合の良い協調を強制的に強いる。
排便までも薬でコントロールする。
介護って?
講義であれだけ学んだ、福祉の在り方の根底、忘れもしない<QOL >って?
その人がその人らしく生きるって何だ?
あの時私には介護は絶対に無理だと思った。
(にも関わらず、その後2ヵ所も介護施設に身を投じる事になったけど。)
障がい者のデイサービスみたいな所に1日だけ実習にいったこともある。
重度の自閉症の方や、身体障がいの方、やりとりできる人、難しい人。
息子と同じくらいの歳の子もいた。
名目は集中力をつけるとかなんとかの紙撚作りもあれば、本を見ている人、ぐるぐる回ってる人、部屋の隅に座ってるだけの人。
ここでも<QOL> が私の頭の中を駆け巡っていたのを思い出す。
介護に携わっているとき、日々自分のどこかのスイッチを切って仕事しているような感覚だった。
そして私は泥臭い人間。
好きな人もいれば生理的に受け付けない人もいる。
汚いとも嫌だとも思う。
聖人君子には程遠く、好きな人にしか心底"してあげたい"と思えない。
こういう私みたいな人間は、福祉業界にいてはいけないと思っていた。
でも、どうかな。
人を人とも思っていないようなスタッフがこの地域の介護福祉業界にどれだけいるんだ?
それ以前に、なんでこの10万そこそこの市にこんなに障がい者が多いんだ?
そもそもの疑問を持たないのは何でだ?
(そこはいずれきっと周知の事実にしたいという野望。)
理想と現実、矛盾の最中で自分を維持するのは難しい。
まして職場の中で考えを共有出来ず、立場ある人間が軸を持たないとなると、肉体的にはもちろん精神的なバランスを保つことが精一杯な毎日。
私は自覚のないまま、私が壊れる寸前だったと思う。
ただ、私には唯一無二の家族がいて、危うくても踏み外さない底力を与えてもらっていたと思う。
(旦那と子供たちに時々は感謝の気持ちを思い出さなくちゃね。)
私は介護福祉業界から身を引いてつくづく良かったと思っている。
追記
先日の相模原の事件、一部で、犯人はどうやら在日が帰化したらしいとのこと。
…狂気の沙汰の惨事の方向性に納得。