逆立ちヒッポポタムス

hippopotamus 河馬です。
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なにせ カバの逆立ちですから。

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蕪村 憮然

2017年06月10日 | 重箱の隅

2017.6.9 読売新聞「四季」長谷川櫂 蘭に 祇園会や真葛が腹の風かほる 蕪村 が載っていた。

真葛が原は円山公園あたり。昔は葛の茂る野原だったのだろう。蕪村の時代もその面影があったか。洛中が祇園祭でわきたつころ、洛外の真葛が原は緑の風が吹きわたる。洛中洛外図のような一句。『季語になった京都千年の歳時』から。

 すんなりわかる。


 しかし蕪村にかんして以前読んでよくわからない文章があった。思い出して探し出した。

次に引きます。

 2015年 文藝春秋9月号第21回 文字に美はありや 伊集院静

 漂白者の目と書

 「私は蕪村の画と句が好きである。蕪村の句は、私の身体の中にすんなりと入り込んだ。

     月天心 貧しき町を 通りけり

 この句と遭遇したとき、O・ヘンリーの短篇集の一篇を読むような気持ちになった。中世ヨーロッパのキリスト教世界のファンタジーを見る思いがした。比較文学を学んだり、さまざまな創作作品に触れていると、西洋、東洋の創作に奇妙な共通性を見ることがある。

当たり前のことである。美しい夕陽を目にすると人間は心を揺り動かす。夕陽は東と西の世界に共通に沈む。

 

これが さっぱりわからない。

蕪村の「月天心貧しき町を通りけり」が唐突に「美しい夕陽を目にすると人間は心を揺り動かす。」となるのかわからない。

「月天心~」は私には水墨画のように感じられる。そのままの世界である。なにも足すことも引くこともない。


「美しい夕陽~」は なんだかカラフルなカレンダーなどを連想してしまう。

一緒に並べられては違和感がある。

太陽と月ほど違っていると思う。いや 月とすっぽんほど違っていると思う。

きっと私は比較文学なるものを 学んでいないからだろう。

で、比較文学ってなに

与謝蕪村「夕陽といわれても・・・・」と憮然としているかもしれない。


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