松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

全く同感です!。多くの教師に分かってほしいです。

2017-10-18 08:36:36 | Weblog

ある方のブログに下記の文章が掲載されていました。私はこれを読んで全く同じようなことを感じていましたので紹介させていただきました。

  授業論と教育論が話されなくなった。代わりに、方法論やスキル面が強調。これでいいのか。
私たちは、もっともっと、教育ということについて語り合わなくてはダメだ。私の新採の頃には、「授業入門」「授業」「授業の展開」などを書いた群馬の島小の校長の斎藤喜博とか「授業の成立」「学ぶということ」「教えるということ」などを書かれたり、田中正造やソクラテスの研究で著名な宮城教育大学の元学長の林竹二、ちょっと前には、「村を育てる力」の東井義雄、無着成恭などの教育者がいた。明星学園の遠藤豊、水道方式の銀林浩、大西忠治先生の集団作り、綴り方教育などがあった。児童文学では、かつて兵庫の教師であった灰谷健次郎とかが「兎の眼」「太陽の子」などがあった。若いときには、これらの書籍をよく読んだものだ。本代に給料の何割かは使いなさい。名古屋の丸善も一緒に連れて行ってもらったこともあった。
 最近は、授業について、教育についての会話がほとんど見られないのがとても気になる。そして、本を買ってきて読まない。職員室の机の上にある本を目にすると、明日の授業に役立つ…と書かれている書籍、それも薄っぺらい、何色かのカラー刷りのもの。○○方式とかいった本も見当たる。特に、インターネットでもよく目に付き、書籍でも多いのが、○○方式。読んでみたら、子どもが不在。道具になってしまっているような感じを覚えた。実際、それで授業をしているのを見たが、先生のショーのような感じがして、長くはみておられなかった。
 方法論やスキルが教育の中心となった。しかも、産業と結びついているから、しかたがない。営利を目的としている企業とのドッキング。思えば、「日本の教育も、もう水俣の海になった。学校が、子どもの生きられない場所となった。」と、三十年も前に語っていた林先生の予言が的中している。大学の文学部などは、就職には縁遠い存在だから、つぶれる。人間の子を人間として育てるのが、教育の役割だ。目的があって、そのために方法があるのに、逆さまになってしまい、目的などはどこかにとんでいってしまっている。そして、目新しいことばかりに飛びついている。この国の教育に責任を持っているのがだから、しっかり、考えなくてはだめだ。もう一度、本を読め。そして、感動した本などがあったら、新採の先生にあげたらいい。私は、毎年、何冊か本を買って、読んでみようかなと思ったときに読んでもらったらいいからといって渡した。少々、金はかかるが、管理職手当てをもらっているのではないか。


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