Feel in my bones

心と身体のこと、自己啓発本についてとつぶやきを。

【どうやったら、生きている気がするように生きることができるか、について考えてみた】

2014-02-20 18:12:52 | 私の考えていること
ワン・シング 一点集中がもたらす驚きの効果
ゲアリー・ケラー
SBクリエイティブ


ここのところの、目標に持っていたこと、みたいなことを、ちょっと考え直したり、なんかしたり。

というか、つまり小説を、上手く書けないなと思って、自分が、どういう方向へ行けばいいのか、と思っていたことを、考え直すと言うか、何をしたいのかについて、もう少し、考えてみないとな、と思ったりしていたことを、見直すという意味で、考えたりした。

自分が、何をしたいのかと言うと、なんと言うかつまり、『生きている気がするように生きること』をしたいと言うか、そんなふうに生きていたいと思う。

それについて考えていたとき、昨日読んだ『One thing』の内容、目覚ましい成果を望むなら、「少しがんばれば何とかなる方法」ではだめで、「背伸びしたらなんとかできそうな方法」でもだめで、「今気がついてないけど可能性がある、全く新しい方法」を見つけて実践しなければいけないのだ、ということの意味が分かった。

つまり、『生きている気がするように生きる』というのは、トライするということなのだ。何か、それまで思いもしなかった『目覚ましい成果』を目指してトライして、それを成し遂げること。

そう考えてみると、今までそういう「思いもしなかったこと」「目覚ましい成果」を自分があげたことがどういうことがあったかと言うと、大学に受かったこと、演劇をやったこと、大学院に受かったこと、の三つが思い当たった。

大学に受かる。ために、結局、それまでの勉強の仕方を全然変えた。完全ではなかったけど、目的意識があったから「今まで以上に勉強する」というような「背伸びする」方法ではなくて、対策本を読むとか、Z会の通信添削をやるとか、傾向と対策をやるとか、受験科目を決めてそれを自分で勉強するとか、今思えば不十分で、これをこうしたらよかったというようなことはたくさんあるのだけど、とにかくそれをやり遂げて「大学合格」という、自分にとっては「目覚ましい成果」をあげることができた。

大事だったのはやはり、まず「大学に行く」という目標を持つこと。その目標、つまり「大学で何をやるか」ということが本当に分かっていたわけではないのが問題ではあったのだけど、大事なのは、とりあえず受験界の頂点である東大に合格すると言う「目覚ましい成果」を目標に持つことによって、自分の姿勢が変わったことが一番大きかった。

受験、特に日本の一般受験というのは、分かりやすい。テストで点が取れれば合格するし、取れなければ落ちる。だから合格するためには、テストで点をとればいい。凄くシンプル。

じゃあ点をとるためにはどうしたらいいか。それまで模試などを受けていて、受験で要求されるテストの点取り能力というのは、学校の学習だけでは足りない、ということは分かっていた。自分ではそれなりに勉強したつもりでも、模試で得点上位に掲載されるということはほとんどなかったからだ。

学校で上位をとるということには、あまり意味を見いだしていなかった。高校トップよりも、大学合格の方がいいと思っていた。つまり、高校で上位という、「背伸びしたらできそうなこと」ではスイッチが入らない、「生きている気がする」ほどのことではなかったのだけど、「東大に合格する」という目標は、やはり「普通の高校生」にとっては「目覚ましい目標」だし、取り組んで「生きている気がする」目標だったのだと思う。

まあそんなで、大学に合格するというゲームはものすごく楽しかったのだけど、これは正直言えば合格したら終わりだ。大学に入ってみて、確かに田舎の学校とは別の世界だったし、新しい世界が広がって楽しいとは思ったけれども、でもやはりそこで満たされるということはなかった。

何かもっと「生きている気がする」ことをしたい。無意識にそう思っていた。

今思うと、それが「無意識」であることが問題だったのだ。それを意識し、それを追求すれば、それからの人生はだいぶ変わっただろうなと思う。

普通にできる勉強に、あまり身が入らなかった。大学に入っても、結局今までの延長線上で、地道な勉強しなければならないことは同じなのか。それはつまらないと思った。

トライして結果をゲットして、その先に進む。もちろん自分なりに、受かったあとどういう勉強をしたいかというビジョンはあったのだけど、入ってみると自分の見聞やもののみかたが凄く狭いと思ったし、また凄くアウト・オブ・デートだとも思った。自分の考えていることに、価値を見いだせなかった。

だから、とにかく本を読んだ。読みまくったし、面白そうな授業にはどんどん出た。でも出れば出るだけ、読めば読むだけ、自分が何をしたいかは見失われて行った気がする。

当時は、「面白いから」勉強するだけだった。勉強と言っても、「スキルを身につける」系の勉強には興味がなく、「知識を増やす系」の勉強ばかりしていた。

というかまあ、今考えてみると変な話なのだが、「生きるためには自分だけにしかないスキルが必要だ」という概念自体が私には欠けていたように思う。

それは逆に言えば、「ただ生きて行くだけなら、何をやったって生きて行ける」という妙な自信があったからなのだ。

でもそれでは、「生きている気がするように生きる」ことにはならない。何をやったら生きている気がするのか、それが当時の自分には分からなかったし、それが自分にとってそんなに深刻な問題であるということさえ、自分には分かっていなかった。

そんなとき、自分の目の前に現れたのが演劇だった。

(続きはまた書きます)
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