(かめいど 東京都江東区亀戸) 横十間川を挟んで西隣の墨田区錦糸町と共に、「錦糸町亀戸副都心」を形成する亀戸は、かつては地続きではなく島であり、亀の形をしていたことから亀島の亀村と呼ばれていたという。また、南西に亀戸天神があり、正保三年(1646)太宰府天満宮の神官であった菅原信祐が神の啓示により、飛び梅の枝で天神像を刻み、この地にあった天神の祠に祀ったのが始まりという。故に江戸時代は東宰府天満宮と呼ばれていた。
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