(東海道三十番目 静岡県浜松市舞阪町)
今回は、西部である弁天島側から歩いてみることとした。
一昔前は、保養地であったこの地。今は昔になりつつあるといった感じだろうか。
弁天島は航路を浚渫した際に出た土砂によって埋め立てられた地であり、以前は舞阪から新居まで一里半離れた、今切という浜名湖と遠州灘につながる海の中であった。
そんな今切も、地震や台風によって自然につくられていった水路なのであり、元々は浜名湖は独立した淡水湖であったという。
橋を渡り、渡船場跡を過ぎ、街道を東進すると、明治以降旅館として使われたために残った、脇本陣跡に辿り着く。平成9年の解体修理によって大部分が新しくなったが、天保九年(1838)に建てられた当時の様子が忠実に再現されている。
辺りの東海道の町並みは新しくなったものの、間口が狭く奥行きが広い敷地は、当時の名残である。暫く歩くと、700mにわたって松並木が現れる。二代目以降の木が目立つが、しっかりと保存されている。
松並木を越すと旧浜松市域の馬郡(まごおり)という地区に入る。
ここには東海道線舞阪駅があるのだが、町の中心からは離れ、町外に出ている。それは、東海道線建設の際、住民が駅が近くにできると治安が悪くなるというので、現在の地に造らせたからだということである。
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