(愛媛県越智郡波方町樋口 1990年9月13日訪 町指定史跡)
この日は先ず大西町へ出向き、妙見山古墳等踏査の後、東隣の波方町に入り、この地に差し掛かった。
今治街道(波止浜街道)沿いのこの地(野間郡樋口村)には元々、土盛りの一里塚が存在したが、当時の松山藩が全ての一里塚を石標に改めることに決め、この樋口一里塚も寛保元年(1741)に「松山札辻より十里」と刻まれた石碑となった。その後、この碑は行方不明となったが、近隣他所で発見され、個人の所有となった後、町に寄贈され元の位置に戻された。
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私は、あまり波方町の方面には出かけませんから、ちょっと場所が分かりかねますが・・・
でも、調べていくと、楽しいですよね(^^)
又、訪問させていただきます。
何か特別に整備されてるわけではないので、分かりにくいですよね
波方支所(旧役場)前にあります
四国って、それほど街道のことに触れないので、この碑を見ることで往時の交通を知ることが出来ました
昔の人は二里ぐらいはフツーに歩いていたんでしょうねぇ。
時代小説などを読むと、よく歩くよな~と感心。
歩くしかなかったんでしょうけどね。
ちょっとの距離でもすぐに乗りものに頼ってしまう生活を反省です・・・。
(o^-')b ★
時間も相当かかったでしょうし、生涯の行動量も限られますね。
今の人は幸せ?というか、歩く量減りましたね。でも、都会の人のほうが車に乗る機会が少ないので、結構歩いてるかもしれませんね。
koureiさんに言われて、私なりに遊行僧の意味を解釈してみました。
これから起こりうる全てのものを受け入れる、一見嫌なことがあっても、すべて意味のあることだと。
分かっていても、許せない心があります。
最近、嫁ちゃんの行動・発言に心病んでいます。
ご指導ください、18日のブログにしてみました。
でも、バルタンさんは、もう既に遊行僧になられてますよ。
ふつうなら聞き流しているようなことも、すべて受けとめて疑問として捉えられていますから。
遊行の原点は、疑問から始まっています。
バルタンさんのお子さんはまだお小さいですから、お子さんが親離れしようとする思春期を迎えたとき、すべてが解決されるのではないでしょうか。
今はお嫁さんがお子さんにまず第一に目が行っていると思いますし、お家全体がそちらに主体が行っていると思いますが、成長することで個としてみられるようになり、一家の関係のバランスも安定してくることでしょう。
それまで特にお子さんに対して油断なさらずに、お子さんがバルタンさんのことを尊敬や信頼の目で見続けることが大事なように思います。
大変失礼致しました。