(岐阜県大垣市)
この地も空襲により中心地の大半が焼失したところである。
往時は旅籠が十一軒、本陣、脇本陣も存在した。岐阜町や本町、竹島町など本陣のあった辺りには当時からの建物は無い。然し、俵町界隈には、面影の残る一角がある。そして本町からは、美濃路脇往還の竹鼻街道が分岐する。
城下町特有の大垣十曲がりをし、水門川船町川湊の横を美濃路は通る。この辺りには大垣城京口門(西総門)が存在したという。再現された自噴水の横には住吉燈台が建ち、昭和初期まで盛んであった水運の歴史を伝えている。水門川から揖斐川を経て桑名、三河方面とを結んだ水運は、永禄四年(1561)大垣城主氏家直元が堀を開削させたことにより始まる。
また、松尾芭蕉が元禄二年(1689)秋に漂泊を終えた奥の細道むすびの地としても知られている。そして、ここから伊勢へ向かったといわれている。
現在、大垣市では「美濃路大垣宿の景観まちづくり」に取り組んでいるという。
(四角い道標は本町角、丸い道標は船町角に建ち、文政年間建立)
(関連記事:垂井追分 垂井宿 水都大垣 墨俣宿 水都大垣平成二十年)
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イメージがわかない?
なんと情けない私。
岐阜県でも大垣は、本当の大企業の社長とかが沢山住んでいるとか聞いたこともあります。
って思いました。
ただふつうにお堀に水が流れてて、大きい川もなくて…
でも後で知ったのは、湧き水が多いということでした。
ヤナゲンも最近ちと傾いてしまったようで、よそのスーパーチェーンに取り込まれてしまいましたね。
大垣は確かに大きい会社の経営者が多いそうですね。