(村上都市計画記念公園 新潟県村上市庄内町堀片 市指定有形文化財)
村上城があった臥牛山を下りると、突然の雨に見舞われた。急いで屋敷内に入る。
公園内には三棟の武家屋敷がある。この場所に元々あった旧藤井家住宅は、平成8年からの解体修理時に嘉永三年(1850)の墨書が確認されている。茅葺き平屋建てで、面積は147㎡,往時は村上藩士重野兵馬の屋敷であったとみられるが、明治中期に藤井氏の家となった。
旧岩間家住宅は元字飯野(旧五軒町)にあって、村上藩士須貝勝太郎の屋敷であった。茅葺き平屋建て面積109㎡であり、安政五年(1858)に長屋造りから一戸建てに改造されている。第二次世界大戦後に岩間氏の所有となったものである。
旧嵩岡家住宅は、元新町にあって、村上藩士嵩岡(たかおか)氏の屋敷であった。昭和62年に宅地造成によって解体されることになり、復元を前提とした部材の格納保存が成された。そして、平成5年皇太子成婚を記念し、小和田家と縁戚である嵩岡家の住宅の復元を、公園整備共々進められた。
(曲天井)
この日は、海上で竜巻が目撃されるなど、不安定な日であった。「新潟は変わりやすい天気だが、こんな分刻みで変わる天気は久し振りだ」という住人の声があった。そして、この住宅群を管理する職員方が雨戸を開け閉めする光景がみられた。
村上城があった臥牛山を下りると、突然の雨に見舞われた。急いで屋敷内に入る。
公園内には三棟の武家屋敷がある。この場所に元々あった旧藤井家住宅は、平成8年からの解体修理時に嘉永三年(1850)の墨書が確認されている。茅葺き平屋建てで、面積は147㎡,往時は村上藩士重野兵馬の屋敷であったとみられるが、明治中期に藤井氏の家となった。
旧岩間家住宅は元字飯野(旧五軒町)にあって、村上藩士須貝勝太郎の屋敷であった。茅葺き平屋建て面積109㎡であり、安政五年(1858)に長屋造りから一戸建てに改造されている。第二次世界大戦後に岩間氏の所有となったものである。
旧嵩岡家住宅は、元新町にあって、村上藩士嵩岡(たかおか)氏の屋敷であった。昭和62年に宅地造成によって解体されることになり、復元を前提とした部材の格納保存が成された。そして、平成5年皇太子成婚を記念し、小和田家と縁戚である嵩岡家の住宅の復元を、公園整備共々進められた。
(曲天井)
この日は、海上で竜巻が目撃されるなど、不安定な日であった。「新潟は変わりやすい天気だが、こんな分刻みで変わる天気は久し振りだ」という住人の声があった。そして、この住宅群を管理する職員方が雨戸を開け閉めする光景がみられた。
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