(小西城 熊本県宇土市古城町 市指定史跡)
宇土氏が築いた宇土(古)城に代わって、天正十六年(1588)キリシタン大名と呼ばれた小西行長がその東側の城山に新たに築いたのが、宇土(新)城である。宇土、益城、八代、天草二十四万石を領し、文禄慶長の役で活躍したが、慶長五年(1600)小西行長は関ヶ原で敗戦し、行長の処刑が伝えられると、兄の留守中宇土城を守っていた弟の小西行景は自刃し、宇土城は加藤清正のものとなった。 清正は、宇土城の改修を行ったが、清正が没すると城は破却され、更に寛永九年(1632)子の忠広は徳川家光への謀叛の疑いをかけられ改易となった。その後、正保三年(1646)になると、細川行孝が三万石を熊本から分封され、宇土藩が再興した。
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