(東京都世田谷区玉川)
平成になるかならないかの頃、砧(きぬた)にある駒沢大学玉川キャンパスに向かうため二子玉川駅を降り立ち、東京の縁端の地に来たと感じた雰囲気は大きく変貌を遂げていた。二子玉川の地名は、多摩川を挟んで東京側の玉川と、川崎側の二子の地名を合わせて、昭和4年(1929)目黒蒲田電鉄(1942-東急電鉄)大井町線開業により駅名として名付けられたものである。江戸時代は大山街道の渡し場として栄えたが、東急新玉川線開業後は、人々の流動が大きく変わり、ベッドタウンのオアシスとして商業施設が建ち始めた。駅東側にあった遊園地、二子玉川園の後身であるタイムスパーク跡地は、近年複合施設「二子玉川ライズ」として開発され、連日混雑をみせている。
二子橋から見た二子玉川
多摩川及び野川の上にある二子玉川駅ホーム
多摩川堤防の内側に居住地が残る地区
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