(愛媛県北条市下難波 1991年7月19日)
この日は北条市役所教育委員会、市長公室、商工観光課に立ち寄り、市北部下難波、新城山中腹にある新城(しんじょう)古墳群を踏査するため、詳細なことを訪ねたが、現地へ行った職員がいなく、正確なことがわからなかった。ただ付近の山は“ハメ”(マムシのこと)が多くて危険なので十分注意したほうがいいと言っていた。そこで現地へ直接行き、散策してみた。
比較的残存状況の良好な 3号墳、5号墳は共に山林と蜜柑畑との境界線付近に位置し、共に石室を2つずつ持っていて、6世紀の長方墳である。 3号墳の石室1基は未開口であり、もう1基は奥壁に石棚を持っているが羨道(せんどう=入口)付近が埋没していて縦に幅40cm程しか開いておらず、内部に入ることができなかった。5号墳も石室2基あるが、こちらは両方入ることができた。
新城山の麓のにも、やはり縦に開口している古墳があり、その南側には農業倉庫の土台となっている古墳が、玄室の一部を残し確認できた。これらの古墳からは土師質埴輪片や須恵器片が散見していた。
新城山尾根から高縄山986m及び河野城跡を望む
新城5号墳内部
(7/15.16今治 7/17東予市 7/18伯方島・東禅寺薬師まつり 7/19北条鹿島 7/20.21.22)
(関連記事:善応寺(河野塚)古墳)
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現在は・・なんだ洞穴?
歴史のことも、どこえやら・・・オバカな私。
私の近所には芋穴ばかりポッカリ口を開けています。