(滋賀県大津市坂本)
日吉大社を後にすると、枝垂桜の横に小さな社殿があった。日吉大社の末社、流護因(りゅうごいん)社である。祭神は護因法師を祀る。かつては東本宮東門の前に護因社という末社があり、洪水で流されたのを機に、大社東側のこの場所に再建したことから、流護因社となったとされる。
護因は、日吉社に奉仕した社僧の名で、『耀天記』に、「後三条天皇は二十四年間も春宮の地位にあって即位は難しいと 思っていた。ある時、皇位につけるようにという御願書を護持僧・金剛寿院座主覚尋に託して日吉社に行かせた。覚尋は西本宮楼門前で護因に出合い、護因は御願書を預かって神に取り次いだ。それから何年もしないうちに、東宮は即位することができた。感激した天皇はすぐさま日吉社に行幸した。護因は、もと西塔西谷の法師で後の樹下宮に奉仕する僧であったが、勘案するに、御願書の有無は誰も知らないはずなのに、御願書を預かり神に取り次いだ護因は、真実の験者あるいは化人であろう」と記されている。
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