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「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

三渓園

2016-02-23 00:00:00 | ふるさとの木々

(横浜市中区本牧三之谷 国指定名勝 重要文化財)
 本牧の住宅地の真ん中に、緑豊かな一角がある。18haに及ぶ敷地は、岐阜県厚見郡佐波村(1956-柳津町,2006-岐阜市)出身で富岡製糸場、後の横浜銀行等を経営した原富太郎によって、明治39年(1906)に私邸を公開し開園した庭園である。「三渓」は富太郎の号であるが、この地の地名「三之谷」を基に付けられたものという。元々この土地は富太郎の養祖父原善三郎によって明治初年に購入され、明治20年頃には別荘として利用していたという。その後、明治32年(1899)に善三郎が死去し、富太郎が引き継いで整備を進めた。昭和14年(1939)富太郎が死去し、昭和28年(1953)には財団法人三渓園保勝会設立と共に園内の大半が横浜市に寄贈された。園内は池泉回遊式日本庭園で、大池を囲むように幾つもの移築された古建築が点在している。
      昭和63年相楽郡加茂から移築された 国重文 旧燈明寺本堂
     宗徧流林洞会から寄贈された茶室 林洞庵
             白川郷御母衣ダム築造で移築された国重文 旧矢箆原(やのはら)家住宅 江戸後期
  国重文 旧東慶寺仏殿 寛永十一年
 
   国重文 旧相楽郡加茂燈明寺三重塔 康正三年
  関東大震災で倒壊した善三郎別荘 松風閣跡
    
 開園当時眼下は海であったが、埋め立てによりコンビナートとなった
                 国重文 臨春閣(旧紀州徳川家別荘巌出御殿) 慶安二年 
      国重文 旧二条城聴秋閣 元和九年
         国重文 旧伏見城月華殿 慶長八年
    国重文 天授院(旧鎌倉心平寺地蔵堂)慶安四年 
    


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