flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

東照公胞衣塚

2008-12-19 00:00:41 | いにしえびとの睡
(愛知県岡崎市康生町)
 天文十一年(1543)十二月二十六日、この地において、父松平広忠、母於大の間に竹千代(徳川家康)が生まれた。この塚は、出産時の胞衣(えな:胎盤)を納めたものと伝えられている。

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4 コメント

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家康さん (バルちゃん)
2008-12-18 18:51:08
想像です。
家康は豊臣の存続を本当は願ったのだと私は感じています。
大阪夏の陣とか冬の陣とかの前に、いろんな文章を送ったと聞きます。
選択肢が沢山あったのだと・・・
もし気に入らなければ問答無用で攻撃するはずです。

豊臣側も大阪では絶対の人気があったと聞きます。
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バルちゃんさん (kourei)
2008-12-19 13:15:42
なるほどぉ
家康さんは、うまいこと人を利用しそうですからね。
あのまま置いておいても、筆頭の傘下に置いておけば、楽で済んだでしょうしね。
でも、家臣の中とかに異論が生じた結果なのかもしれませんね。
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帰雲城 (BALTAN(バルタン))
2008-12-20 18:36:30
最近ね岐阜県大野郡付近の帰雲城の埋蔵金が気になります。

家康も探していた豊臣の財宝も見つかってないしね?
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バルタンさん (kourei)
2008-12-21 02:04:30
私も昔、父がその帰雲城の出てる本を見ているところを見ましたよ。

ロマンありですね…
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