(中山道四十五番 岐阜県中津川市)
中津川へ私は、過去に平成13年10月と16年1月、17年9月に訪れている。下呂や飯田への交通の要所である中津川のまちの北側には、国鉄下呂線として利用する計画もあった、今は無き北恵那鉄道の路盤が今も所々残る。中山道筋であった新町の街並みは、商店の数が減ってきていたが、以前訪れたときの高度成長時代からストップしたような雰囲気から、街並み再生への取り組みが感じ取れた。
新町の一角には、前回は閉まっていた「間家大正の蔵」がある。外観は現代的ながら、大正6年(1917)に建てられた市指定文化財である。蔵は鉄筋コンクリート、ラーメン構造の建物であるが、壁や床には、付近産の木材をふんだんに使っている。間(はざま)家は、赤穂浪士四十七士の内、三人の名が見える家系で、中津川では年寄役や商家をしていた。戦後、約3000㎡あった敷地建物の取り壊しや売却が行われたが、この蔵と一部の庭が残され、平成4年(1992)に市に寄贈された。そしてここでは、今年90歳になられる方に、蔵の中と、間家のことを説明していただき、あわせて、大正時代からの中津川の移り変わりも説明していただいた。
まちを横切る四ツ目川を大井宿の方向へ渡ると本町になる。そこにある中山道歴史資料館を見学し、本陣、脇本陣跡界隈を漫ろ歩いた。
(関連記事:落合宿 落合山中 落合石畳 十曲峠新茶屋 神坂)
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます