一昨年の春、御殿場帰りに付近の中心地、沼津のまちへ出向いた。
さすが商業もしっかりしており、大型商業施設、個人商店及び仲見世というアーケード街もあって活気があった。
と思いきやそんな中、ある百貨店の閉店セールが行われていた。
関東では有名な、服飾系百貨店の最期。
39年間続いたようだが、このビルは7階建てであるのにエスカレーターが無い。
面積の狭さもあると思うが、その点が印象に残った。
そのビルの地下に中華料理店があった。
何やら懐かしげな雰囲気漂う店で食事をしていると、店の人が「ここがなくなったら商売はもうやめる」と話した。
この言葉が一番印象に残った。
今年の春、再び訪れた。
百貨店跡は更地となり、衰退の文字が浮かんだ。我が近隣浜松を思い起こさせる…。
市役所に寄り、その前にある謎の飲食店の跡が目に入った。
一体これがなんであったのか定かにならずに、この地を離れた…。
(関連記事:千本松原)
さすが商業もしっかりしており、大型商業施設、個人商店及び仲見世というアーケード街もあって活気があった。
と思いきやそんな中、ある百貨店の閉店セールが行われていた。
関東では有名な、服飾系百貨店の最期。
39年間続いたようだが、このビルは7階建てであるのにエスカレーターが無い。
面積の狭さもあると思うが、その点が印象に残った。
そのビルの地下に中華料理店があった。
何やら懐かしげな雰囲気漂う店で食事をしていると、店の人が「ここがなくなったら商売はもうやめる」と話した。
この言葉が一番印象に残った。
今年の春、再び訪れた。
百貨店跡は更地となり、衰退の文字が浮かんだ。我が近隣浜松を思い起こさせる…。
市役所に寄り、その前にある謎の飲食店の跡が目に入った。
一体これがなんであったのか定かにならずに、この地を離れた…。
(関連記事:千本松原)
時代の流れと共に住居、店舗、公園、学校、その他諸々変わっていってしまいます。
私の子供時代鍵のかかっている家なんて空き家ぐらいしかなかったし、空き家だって私らの秘密基地だった。
店舗にしても、商売半分愛情半分だった。
公園は必ずボスがいて代々受け継がれていくものだったし、学校なんて友達の輪を広げるための空間だった。
今の子供たちがかわいそうだとつくづく思う。
行き着くところまで来てしまった感じ。
私も秘密基地で遊びましたし、外での視界は広かった。
今の子供たちは、仲間意識や世間が狭くなり、他人事の領域が広くなってきたといいます。
何事も制約され始めた社会と、親としての意識の変化、数字や良いも悪いも世の中を見通せるようにしたマスコミやネットのせいがあるかもしれません。
長距離トラックの運転手をしていたころに、一度だけ連れて行ってもらった場所。
なんか70年代っぽい感じがいいかも。