(愛知県稲沢市矢合町椎ノ木・中椎ノ木 1991年3月29日)
高齢者で賑わう矢合(やわせ)観音行きのバスに乗り、矢合町にある国分寺跡に向かった。尾張国分寺も、天平十三年(741)聖武天皇の詔(みことのり)によって、各国に造営された国分寺の一つである。その後、元慶八年(884)に尾張国分寺は焼失したため、愛知郡の願興寺(名古屋市中区正木の元興寺か)に国分寺の機能を移したとされる。然し、元興寺で当時の遺構が検出されていないことや、国分寺跡付近に平安時代前期頃までの遺物が散見できること、また鎌倉時代の仏像を伝える現在の国分寺も存在しているため、間もなく後継の寺院が規模を縮小して再建されたとみるのが妥当であろう。国分寺跡は稲沢市特産の植木の苗木畑となっているところが多く、畑の中に礎石を見ることができる。国分寺跡踏査の後、付近の市神前遺跡、辻初遺跡、脇ノ田遺跡、堀之内花ノ木遺跡、高畑遺跡もあわせて踏査した。
塔跡礎石
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