flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

渋谷城と金王八幡宮

2016-08-13 00:00:00 | 城郭・城下町

(東京都渋谷区渋谷)
 渋谷の街を見下ろす東側の高台には神社がある。寛治六年(1092)この地に渋谷城を築いた河崎基家(後に渋谷重家と改める)によって「渋谷八幡」を創建したのが始まりという。その基家は秩父重綱の弟であり、武蔵国橘樹郡河崎(川崎市)を領したことにより河崎姓を名乗った。基家が源義家に従い京の御所を訪れていた際、宮中で盗賊を退治し、その功績によって堀河天皇から相模国高座郡渋谷庄(神奈川県藤沢市・大和市)を賜り、渋谷姓と名乗った。その後渋谷氏が谷盛庄(後の渋谷)に移り城を築いたため、地名が渋谷になったとされる。(諸説あり) 重家の子の金王丸(渋谷常光:土佐坊昌俊と同一説あり)は、長らく子のなかった重家が八幡宮に祈願したところ、金剛夜叉明王が妻の胎内に宿る霊夢を見て男子を授かったことから幼名を金王丸と名付けたという。然し、大永四年(1524)北条氏綱の武蔵攻めの際、北条氏の別働隊によって城は焼き討ちされ渋谷氏は滅亡した。江戸時代に入ると、徳川家光の乳母春日局は、八幡宮の神門、社殿を造営している。また、隣接する渋谷山東福寺は、明治維新の神仏判然令以前は八幡宮の神宮寺(別当寺)であった。
  
   東福寺
   
 渋谷城と金王八幡宮
 旧渋谷城石垣とされる石材
 堀の役目を成した渋谷川

コメント
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