手話通訳者のブログ

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どんな視点に立つか

2017-05-01 07:06:17 | 手話
ミモザさん、ご意見ありがとう。

新しい手話なんて必要ない。いつも、このように主張しています。
そういうブログに、真向から対立する意見を書き込むのは勇気のいることだし、このような書き込み文でも礼を失しないような文章を書ける。
あなたはしっかりした人格をお持ちのようだ。


>他県のろう者同士は、初対面のしばらくの間は手話が通じないようですが、だんだんと通じていくようですね。ここが音声言語と視覚言語との大きな違いだと思います。ですので、意思疎通の場において、標準化の必要は無いと思います。

全くその通り。
「意志疎通の場において」、標準化の必要はない。
意志疎通という視点から見れば、標準化は必要ない。


>手話も、情報保障の面では、新しい手話が必要だと思います。日本語におけるカタカナ語のように。

「情報保障の面では」、新しい手話も必要です。
ただし・・・
情報保障とは何か。
私は手話通訳者なので、現実に出会ってきた一人ひとりのろう者を思い浮かべます。
ろう者Aさんにとっての情報保障と、ろう者Bさんにとっての情報保障は違う。

日本語におけるカタカナ語のことは示唆に富んでいます。
カタカナ語が急激に増えたのは戦後のことであり、ここ50年程度のことです。
そして、急激に増えてくるカタカナ語に警鐘を鳴らす人も多く出現しました。
今でもこの論争は続いています。
同様に、手話についても、必要に迫られて新しい手話が創られ、そのスピードが早くなってきた今、反省が必要なのだと考えます。

年配のろう者の中には、満足な教育を受けることもできないまま成人し、長い長い労苦の中で生活している人もおられます。
このような方にとって、新しい手話など、得体の知れない暗号のようなものです。

比較的若い世代のろう者の視点に立てば、新しい手話が「情報保障として」必要になる場面はあります。
つまり、限定的な場面においてのみ、必要なのです。
新しい手話を創ることは、手話研究の場において、限定的な場面において、やっていただきたい。

手話通訳者の仕事は、新しい手話を学ぶことではない、と考えています。

やはり、手話通訳者としての視点に立てば、
「新しい手話は必要ない」
と主張し続けます。

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1 コメント

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古い手話の規定をしないで新しい手話は言えない (手話研究)
2017-05-07 02:11:35
新しいとは何が新しいのか意味不明です。聞いたことがないカタカナことばを手話にしてろうあ者に知らせていると思い込んでいる人へ。古いと決めつける手話を知らないでしょう。宇宙、インクルージョン、合理的配慮などなど簡単にーいわゆる昔の手話ーで表現できますよ。古い手話なるものを知らないで、とやかく、これが正しい手話なんてろうあ者の人に対して失礼でしょう。

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